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【新世界100周年を振り返って☆奈良県黒滝村との繋がり】

ブログで連載してますが、2012年に新世界は100周年を迎え、当時、記念事業として様々な関連事業が行われました。

100周年事業の中で、他の地域とのコラボ企画、共同事業も行われ、特に奈良県吉野郡黒滝村との共同事業は忘れることができません。

2012年7月3日は新世界が生誕100周年を迎えました。

同時に、7月1日には奈良県吉野郡黒滝村が生誕100周年を迎えました。

100周年を機に、新世界と黒滝村は友好関係を築き、現在も継続しています。

新世界と黒滝村との「100周年繋がり」については、新聞でも紹介されました。

実は、7月28日、29日に迫った『新世界100年まつり』の直前、 2012年5月にアポなしで、新世界会館に黒滝村の方々、数人が来られました。

新世界100周年実行委員会のメンバーは、その時、初めて黒滝村が100周年を迎えることを知りました。

というか、「黒滝村って、どこにあるんですか?」という質問があったように記憶しています。

黒滝村の担当者から「新世界と同じく黒滝村も100周年を迎えるにあたり、何かコラボできないか?」という、漠然とした話から始まりました。

大阪のど真中、賑やかな新世界と、奈良県の秘境ともいわれる黒滝村、これからどんなコラボができるのか、どんな関係作りができるのか、全く手探りでした。

そのような状況の中、相談を重ね、2012年7月28日、29日、2日間に渡り開催された「新世界100年まつり」のメイン会場で、黒滝村の物産展が開催されました。

地元特産の猪肉が使用された「猪コロッケ」や、新世界の串かつにちなんで「しし串」や「しか串」なども販売されました。

ステージでは、黒滝村民族伝統芸である「千本づき」が披露され、長い棒状のキネで一度に数人がお餅をつく姿は圧巻でした。

その後、黒滝村と新世界の友好関係のシンボルとして、黒滝ビリケンを製作。

通天閣のビリケンさんと足の裏を合わせてパワーを注入してもらい、この様子はNHKニュースでも紹介されました。

通天閣や新世界も協力し、2013年6月、奈良県黒滝村の道の駅「吉野路 黒滝」にて「黒滝ビリケン」完成披露式が行われました。

100周年以降では、新世界夏祭り「だんじり神輿巡行」に、黒滝村から笛隊が参加し、巡行を盛り上げてくれました。

また、新世界、黒滝村100周年を機に、浪速区と黒滝村との都市間交流も始まりました。

浪速区のホームページには、第15回日本橋ストリートフェスタで黒滝村PRが行われたことが紹介されています。

https://www.city.osaka.lg.jp/naniwa/page/0000185033.html
広がる100周年の“輪” 村制100周年の奈良県黒滝村と浪速区は都市間交流をしています!
大阪市浪速区では、区内の主要観光エリアである新世界・通天閣が平成24年7月に100周年を迎え、同じく同年7月に村制施行100周年を迎えた奈良県吉野郡黒滝村と都市間交流を始めることになりました。 この交流は、浪速区が支援する「新世界&天王..
リンク
www.city.osaka.lg.jp

また、黒滝村ホームページにも浪速区との都市間交流について記載されています。

新世界100周年をきっかけに繋がりが生まれ、今でも様々な形で都市間交流が続いています。

黒滝村との繋がりを通じて、100周年事業とは、一時的なイベントではないことを実感しました。

来年、2023年は新世界生誕111周年を迎えますが、現在はコロナ禍で、なかなか思うような企画やイベントを計画することが難しい状況でが、『繋がり』を築くという意味も含め、幅広い考え方で記憶に残る事業ができたら嬉しいです。

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【まん延防止等重点措置☆3連休初日、2月11日(金•祝)の新世界の様子】

令和4年2月11日(金 • 祝)、3連休初日の新世界の様子です。

大阪府には『まん延防止等重点措置』が適用されていますが、3連休でもあり、昼間はほんの少し賑わいがあったようです。

昨年から新世界でお店を始めた方は『今日は人が多いですね。だいぶと賑わいが戻ってきましたね!』と、おっしゃってましたが、コロナ前はこんなもんじゃなかったです。

日本全国から、海外から多くの観光客が新世界に訪れ、3連休などがあれば、観光客でごった返してました。

新しいお店の方は、コロナ前の新世界の賑わいを知らないそうで、2年間というコロナ禍は本来の賑わいを知らない人が増えるほど長すぎる期間だと実感します。

コロナ禍で観光客が減り、最近は、人力車の営業は土曜•日曜日のみにしているそうですが、この日は人力車も稼働してました。

人力車の車夫は、

3連休といっても大阪の人が多く、人力車に乗ってくれたのも大阪の人でした。

しかし、大阪の人はノリが良く、快く乗ってくれる人が多いので助かります。

新世界から『あべのキューズモール』まで行ってくれと言われたので、坂を登ってキューズモールまで運んできました。

もちろん、観光案内をしながらですが、意外と大阪の人のほうが、大阪の名所や歴史などを知らないことが多いようです。

もっと大阪の人にも人力車に乗ってもらえたら嬉しいですね!

と、おっしゃってました。

まん延防止等重点措置により、時短営業している飲食店も多く、日が暮れると人通りが少なくなる傾向があるようです。

大阪のコロナ感染者数はまだまだ収まる様子はなさそうです。

春休みは卒業旅行のシーズンでもあり、本来なら、2月下旬から3月にかけて観光客が増えていく期間になりますが、今年はコロナの状況しだいでしょうね。

一日も早く、平穏な状況に戻ることを願うばかりです。

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【新世界100周年を振り返って☆『新世界100周年パン』共同開発!】

ブログで連載してますが、2012年に新世界は100周年を迎え、当時、記念事業として様々な関連事業が行われました。

最終的には、大阪市長を委員長とする『新世界&天王寺動物園百年祭協働委員会』を立ち上げ、行政や地域団体、施設や企業が協力して事業を進めていくことになりましたが、それまでの道のりはなかなか険しいものがありました。

2009年頃、浪速区役所での会議に参加した時、『2012年に新世界が100周年を迎えます。記念すべき年を盛り上げるため、皆さまのご協力をお願いします』と挨拶、自己紹介したことがありますが、役所の職員の方々、参加者の皆さんは、何の反応もなく静まりかえってしまったことがありました。

また、浪速区の市会、府会議員さんに相談しても、何の返答も無しという状況でした。

ひとつの街が生誕100周年を迎えるなんて、なかなか珍しいことで、どのように対応すればいいのか判断できなかったんでしょうね。

そんな状況でも、新世界内はもちろん、浪速区、大阪、そして全国に周知していくため、新世界100周年事業として、その年だけでなく、2009年頃から様々な事業を展開していきました。

その事業のひとつに、『新世界100周年パン』の開発事業がありました。

『新世界100周年パン』は、新世界100周年実行委員会と山崎製パン株式会社さんとの間で共同企画し、約1年半をかけて開発されました。

■まず一つ目は、ヤマザキのご当地ランチパックです。

牛カツのランチパックには、新世界ジャンジャン横丁に店を構える老舗の串かつ店『てんぐ』監修のソースをサンドしました。

■もうひとつは、お惣菜パンです。

新世界のジャンジャン横丁入口で店を構えるお好み焼き店『狐狐』監修、お好み焼き風パンです。

2012年5月31日、発売日前日に、ジャンジャン横丁北入口で、新世界100周年パンの発表記者会見が行われました。

写真右は串かつ『てんぐ』の松谷社長、写真左は、お好み焼き『狐狐』の芦田店主。

発表記者会見には、新世界PR大使 • OSAKA翔GANGSも参加し、新世界100周年パンをPRしました。

『ランチパック 牛カツ』と『お好み焼き風パン』は、期間限定で近畿2府4県のスーパーやコンビニで発売されました。

また、新世界100周年周年パンの発表記者会見は、多くの新聞で紹介していただきました。

このように、山崎製パン株式会社さんと共同開発した新世界100周年パンによって、新世界100周年を周知し、盛り上げることができたことは大きな意義があったと思います。

来年、2023年は新世界生誕111周年を迎えますが、現在はコロナ禍で、なかなか思うような企画やイベントを計画することが難しい状況です。

そんな中でも、個人でできることは情報発信していくことでしょう。

新世界の情報ブログを通じて、少しでも多くの人に『2023年 新世界生誕111周年』を知ってもらえたら嬉しいです。

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【テニススクール『ノア大阪通天閣前校』☆2022年4月5日グランドオープン!】

阪堺電車『恵美須町駅』は、2020年2月に100m南側へ移転し、その跡地に新たにスポーツ施設がオープンします。
再開発は2つのブロックに分けられ、南側をマンションとする一方、北側にはテニスコートが建設されてます。

先日、ブログでも紹介しましたが、全国、海外に29のテニススクールを展開する『ノアインドアステージ株式会社』が、大阪に7つ目となるテニススクールを開校、『ノア大阪通天閣前校』として、2022年4月5日にグランドオープンすることになりました。

すでに先行予約が始まっているそうです。

さて先日、『ノア大阪通天閣前校』の支配人さんが、新世界町会連合会に挨拶に来られました。

支配人さんは、地域に密着したテニススクールとして地元の人にも親しんでもらえるような施設を目指しているとおっしゃってました。

初心者、未経験者も大歓迎だそうで、今までテニスに縁がなかった新世界地元の人も気軽にテニスを始めることができるようになるでしょう。

また、テニススクールの住所は浪速区恵美須西になりますが、道路を挟んで新世界とは隣接している場所にあり、繁華街、観光エリアでもある新世界にとっては、テニススクールに来られる生徒の皆さんにも新世界に親しんでもらえるきっかけになれば嬉しいです。

そのような意味でも、地元の住民、店舗の皆さんも新しくできるテニススクールに興味津々です。

しかし、テニスとは縁がなかった人が大多数であり、興味津々ですが、遠巻きからこっそり眺めているという雰囲気が伝わってきます。

そんな中、開校前の忙しい時期に挨拶に来ていただいて本当に嬉しく思います。

『ノア大阪通天閣前校』では、グランドオープンに先立ち、オープニングイベントが行われるそうです。

2月23日(祝 • 水)には、テニスをしたことがない方でも気軽に参加できる体験イベントがあります。

興味がある方、是非、参加してみてはいかがでしょうか。

さっそく、うちのカフェにもチラシやPR用ポケットティッシュを置きました。

新世界町会連合会としても、『ノア大阪通天閣前校』の開校によって、新世界にも新たなスポーツ文化が根付くことを期待し、共に地域を盛り上げていけるような関係作りができたら嬉しいです。

新世界町内会でも開校のお知らせを回覧しようと思います。

『ノア大阪通天閣前校』インスタグラムも検索してみてください。

詳しくは下記ホームページをご覧ください。

■ テニススクール
ノア大阪通天閣前校
https://noah-tsutenkaku.com
テニススクール・ノア 大阪通天閣前校(大阪府大阪市浪速区)
天候に左右されないインドアコートで初心者から上級者まで楽しめる「体験レッスン」に参加しよう!
リンク
noah-tsutenkaku.com

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【新世界100周年を振り返って☆新世界ハイボールキャンペーン】

ブログで連載してますが、2012年に新世界は100周年を迎え、当時、記念事業として様々な関連事業が行われました。

ブログで連載するために新世界100周年事業を振り返ってみて、懐かしい気持ちになるのはもちろんですが、ほんの数年間で、よくこんなに多くの事業をすることができたなぁ〜と、今更ながら感心します。

新しいことにチャレンジし、新世界でどこまでのことができるのか、新世界の可能性を探り続けた数年間だったように思います。

2010年〜2012年にかけて、新世界100周年実行委員会とサントリービア&スピリッツ株式会社による『新世界ハイボールキャンペーン』が3回ほど開催されました。

まさに、新世界とサントリーの一大コラボ企画でした。

上のチラシはそのうちの2回分です。

参加店舗も回を重ねる度に増え、最終的には約80店舗もの参加がありました。

キャンペーン参加店で『角ハイボール』または『トリスハイボール』を計2杯飲まれた方を対象に抽選会を実施し、素敵な賞品が当たるという企画でした。

参加店舗にはサントリーハイボールの黄色い提灯が並び、『新世界でハイボールを飲もう!』というPRが大々的に行われました。

これは裏話ですが、

当時、新世界ではアサヒビール、キリンビールを取り扱っている飲食店が多く、その中でサントリーのキャンペーンを行うことはタブーでもありました。

そこで、新世界100周年実行委員会とサントリーさんとの話し合いで、ビールではなく、あくまでもハイボールのキャンペーンであり、『新世界ハイボール』として親しんでもらえるようコラボすることになりました。

新世界100周年事業は、2009年頃から基礎作りが始まり、2012年まで、数々の企画やイベントを通じて、新世界100周年を全国に発信していきました。

活発な動きを発信することで、新世界の元気、魅力を多くの人に感じとってもらえたと思います。

2023年には新世界は111周年を迎えます。

『111』というゾロ目は、何かおもしろい企画ができそうな感じがしますね。

串かつの形も『111』で表すことができるし、お店の特価商品で111円や1110円の商品を考えてもらうのもいいかも。

新世界111周年に向けて、何かおもしろい企画を考えていきたいと思っています。

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【コロナ禍の状況を美容師さんに聞きました☆】

大阪府にはコロナ感染急拡大により『まん延防止等重点措置』が適用され、土 • 日曜日でも人通りは少なくなっています。

その上、2月になって一段と寒くなり、余計に人通りが少なくなってきた今日この頃。

日が暮れると、通天閣本通商店街も閑散となってしまいます。

通天閣本通商店街にある白木屋さんも『まん延防止等重点措置の期間、2月20日まで臨時休業になっています。

『白木屋 通天閣本通店』の向かえに、カットハウス『スタジオK』があります。

2階は美容室になっています。

うちの店からも近く、私も月一回ぐらいのペースで利用しています。

いつも2階の美容室『114』でシャンプー&カットしてもらいます。

料金はリーズナブル、それに早い、仕事の合間に行くにも適してます。

髪の毛を切ってもらいながら、美容師さんと雑談するんですが、話題はやはりコロナのことになります。

カットハウス、美容室ですから、定期的に来る常連さんが中心になってますが、一昨年の春以降、コロナ禍が始まってから、お客さんの数が急激に減ったそうです。

『緊急事態宣言』や『まん延防止等重点措置』などで、新世界でも休業する店舗も増え、それらのお店で働く人の来店が減ったそうです。

また、新世界および恵美須町は交通の便も良く、終電が無くなってもミナミからタクシーでスグに帰れる距離なので、ミナミで働く、いわゆる夜職の人が住むエリアでもあります。

コロナ前には、ミナミのラウンジやバーで働く女性のお客さん、それにホストのお客さんも多かったのですが、コロナが始まってからは、休業や時短営業が増え、その方面のお客さんが減ってしまったそうです。

逆に、もうすぐ緊急事態宣言が終わるとなると、お店を再開する前に、髪の毛を切りに来るお客さんが増え、忙しくなる時期があるそうです。

美容師さんは、

もし自分がコロナに感染したら、仕事もできなくなるし、お客さんにも迷惑をかけるし、感染予防には本当に気を付けてますよ。そういえば、2年ほど、好きなカラオケにも行ってませんね。

好きなカラオケでも、2年も行かなくなると、行く習慣が無くなってしまい、特に行きたいと思わなくなってしまいますね。

と、おっしゃってました。

確かに、コロナ禍が続くことで、仕事帰りに飲みに行ったり、遊びに行ったりする習慣が無くなったという話はよく聞きますね。

コロナ禍において、観光業、宿泊業、飲食業などが大きな影響を受けているイメージがありますが、人の動きが止まれば、様々な業種に影響があります。

飲み屋、飲食店が休業になれば、それによって影響を受ける業種はたくさんあります。

美容師さんの話を聞いて、様々な業種にコロナの影響が広がっていることを実感しました。

一日も早く、コロナが収束することを願うばかりです。

というわけで、美容室『114』さんで、シャンプーとコンディショナーが販売されてました。

ナノサプリミニ、1本500円という金額に目が行き、担当の美容師さんのオススメで、烏龍茶の香りがするシャンプー、青リンゴの香りがするコンディショナーを買いました。

さっそく試してみようと思います。

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【新世界100周年事業を振り返って☆新世界PR大使 • OSAKA翔GANGS】

先日もブログで紹介しましたが、2012年に新世界は100周年を迎え、当時、記念事業として様々な関連事業が行われました。

来年2023年には新世界は生誕111周年を迎えますが、現在のコロナ禍ではなかなか話が進まず、街全体が盛り上がっていく雰囲気になるのにも時間がかかりそうです。

そんな中ですが、記念になる事業として、どんなことができるのか検討していきたいと思う今日この頃、ブログでは、新世界100周年事業を振り返る機会を作り、少しでも111周年に向けて、検討するきっかけになればと思い、数回に分けて連載していこうと思います。

2008年夏、通天閣本通商店街にある屋外イベントスペース「新世界ルナストリート」がオープンし、そこのステージで女の子のグループが定期ライブを行っていました。

OSAKA翔GANGSは、2006年に結成されたグループで、2008年にオリジナル曲「SHINSEKAI」を発表。

新世界ルナストリートで、彼女らの活動を観た新世界の地元商店主達は、新曲「SHINSEKAI」が元気で楽しく、これからの新世界のイメージに合っていると判断し、新世界町会連合会はOSAKA翔GANGSを新世界PR大使に任命し、2009年度〜2012年度までの4年間、PR大使を務めてもらうことになりました。

OSAKA翔GANGSの楽曲『SHINSEKAI』は、新世界イメージソングにもなりました。

文章で書くと簡単ですが、新世界PR大使に決まるまで、地元の会議では、なかなか大変でした。

これまで新世界PR大使などを街が正式に認めたことがなく、歌謡劇場や大衆演劇が根付いている新世界の中で、最近まで新世界とは縁が無かったダンス&ボーカルグループがいきなり新世界PR大使になるなんて、斬新すぎて誰もついていけませんでした。

その状況の中、街の偉いさんをひとりひとり説得して、ようやく決まった新世界PR大使でした。

写真は、2009年1月、通天閣下広場で行われた新世界PR大使発表披露式典。

毎年、新世界夏祭りでは翔GAN神輿で盛り上げてくれました。

新世界PR大使として代表的な事業として、OSAKA翔GANGSが主演の新世界100周年記念映画「SHINSEKAI〜あなたの愛を見つける街〜」を発表し、2011年に完成、大阪の一部の映画館でも上映されました。

新世界会館で、映画の制作発表会を行い、多くの新聞社から取材がありました。

読売、毎日、朝日、産経、その他、スポーツ新聞など、ほぼ全紙に掲載されました。

この映画は、地元の店舗の皆さんから制作費を集め、約100万円の制作費で作り上げた映画でした。

100万円という映画の制作費は、破格的に安いらしい。

撮影では、新世界の多くの店舗、通天閣、スパワールドなど、様々な形で協力していただきました。

懐かしくもあり、当時、新世界の活性化に向けた活動に、やみくもに走っていた自分を思い出しました。

時代も流れ、現在、OSAKA翔GANGSは当時のメンバーは全員卒業したそうです。

新世界100周年記念映画「SHINSEKAI〜あなたの愛を見つける街〜」はラブストーリーでもあり、新世界の街の風景を通して、町の住民たちの生活や町に対する思いを克明に記録しています。

新世界の活性化に向けた活動の原点ともいえる映画であり、興味のある方は、新世界会館、または、新世界公認ホームページまで、お問い合わせください。

ちなみに、新世界町会連合会が任命した新世界PR大使は、今のところ、OSAKA翔GANGSが最初で最後になっています。

2023年の新世界111周年、それに2025年の大阪万博に向けて、街を盛り上げ、発信していける新しい動きをしていきたいと思っています。

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【約半世紀での新世界の変貌と現在のコロナ禍を考える☆】

新世界の約半世紀の変貌を説明するとき、約半世紀で新世界は『映画館の街』→『パチンコの街』→『串かつの街』に変わっていったという話をします。

現在、ジャンボ釣船『つり吉』の場所は、以前、『新世界ジャンボ』というパチンコ屋さんでした。

パチンコ『ジャンボ』ができる前は、『大映』という映画館でした。

『つり吉』の迎え側には、マクドナルド、くら寿司ができてますが、以前は「アルドーレ」、もっと昔は「ABC」というパチンコ店でした。

通天閣の目の前にあるスギ薬局の場所も以前はパチンコ屋さんでした。

今から考えると、観光エリアのど真ん中にパチンコ屋がひしめき合っていたように思いますが、当時は観光エリアというより、繁華街というイメージだったように思います。

さて、下はパチンコ『ニュー三共』創業当時の写真です。

昭和29年頃だと思います。

当時のパチンコは、椅子席ではなく、立って遊戯をしてました。

もちろん玉を弾くのは手動です。

遊戯台が並ぶ島の中には人がいて、それぞれの遊戯台に玉を運んでました。

今のパチンコとは全く違うので、若い世代の人達がイメージするのは難しいと思います。

その後、リニューアルしたパチンコ『ニュー三共』で、今から8年ほど前に廃業しました。

現在は串かつ『だるま』動物園前店になっています。

この半世紀、繁華街というイメージから観光エリアというイメージに変わっていき、コロナ前にはインバウンドによる外国人観光客も増え、新世界及び周辺地域では宿泊施設が増えました。

しかし今、まん延防止等重点措置により、観光エリアとしての新世界は大きなダメージを受けています。

写真は、1月31日(月)午後7時30分ごろの新世界です。

もし今、パチンコ屋がひしめき合い、常連さんが根付いていた新世界なら、ここまでダメージを受けていたのか、『もしも』を考えるとキリがないのですが、コロナ禍、いろんなことを考えてしまう今日この頃です。

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【新世界100周年事業を振り返って☆ 新世界&天王寺動物園百年祭協働委員会】

先日、ある人から『新世界100周年事業の写真はありませんか?』と聞かれたので、探してみました。

1912年7月3日、一大娯楽施設『ルナパーク』が開業し、それを新世界の誕生としています。

2012年7月3日に、新世界は生誕100周年を迎えました。

2011年の阪堺線(恵美須町~大小路)開通100周年から2012年の新世界100周年、2015年の天王寺動物園誕生100周年までの5年間を「新世界&天王寺動物園百年祭」としました。

大阪市においても、このエリアは、集客観光施策の中で、非常に大きな役割が期待され、行政と地域住民・企業とが連携して一緒に100周年を盛り上げるため、大阪市長を委員長とする『新世界&天王寺動物園百年祭協働委員会』を立ち上げました。

2015年の天王寺動物園100周年まで、同委員会のもと、様々な企画や催しが展開されました。

ちなみに、今では天王寺動物園ではお馴染みのナイトZOOも天王寺動物園100周年を機に始まりました。

そんなわけで、過去の写真を探してみました。

通天閣には新世界誕生100周年の告知が掲示されました。

2012年7月28日(土)、29日(日)の2日間、新世界100年祭の式典、イベントが開催されました。

現在の『ココモよってぇ屋 新世界店』、当時は店舗は無く、駐車場だったので、その駐車場を2日間貸してもらって開催しました。

2012年6月18日の朝日新聞 夕刊です。

記事の左にある通天閣入場者数の推移を見れば、新世界100周年によって、観光客が増えたのが解ります。

このように、新聞、テレビ、ネットニュース、雑誌など、様々な形で新世界100年を紹介していただきました。

2011年、阪堺線(恵美須町~大小路)開通100周年記念式典の様子です。

場所は阪堺電車『恵美須町駅』です。

プラットホームに並んでいる女の子達は、当時、新世界PR大使を務めていた『OSAKA翔GANGS』です。

新世界100周年メインキャラクターにキン肉マンが採用され、様々なキン肉マン関連イベントが行われました。

当ブログは新世界100年周年が終わった2012年9月からスタートしたので、当時のことをリアルに紹介した記事がありません。

しかし、新世界100年周年事業については、これからも記憶に残すべき一大事業であり、たまにこのブログでも紹介していこうと思います。

来年2023年は新世界111周年を迎えるにあたり、何か記憶に残る事業を考えていきたいと思っています。

まずはコロナが落ち着いて、街の中に新世界111周年を盛り上げようという機運が高まることを期待しています。

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【今となっては『幻のフェスティバルゲート』ですね☆】

以前、JR環状線『新今宮駅』から改札を出たら、真正面に見えた大きな施設ですが、この写真、何かわかりますか?

大型遊具や娯楽施設と商業施設を合体させた都市型立体遊園地『フェスティバルゲート』です。

新世界のお店で働く若い世代の人達に、『フェスティバルゲートって知ってる?』と聞いても、ほとんどの人が知らないようです。

今となっては、幻のフェスティバルゲートですね。

元々、この場所には大阪市交通局の市電天王寺車庫(霞町車庫)がありましたが、長年の間、広大な空き地になっていて、地元では大きな課題になってました。

フェスティバルゲートは、第三セクターのフェスティバルゲート株式会社によって運営されてました。

いわゆる霞町車庫跡問題がようやく解決し、1997年7月18日、フェスティバルゲートが開業しました。 

東隣には同時期に開業したスパワールドがあります。

フェスティバルゲートは、私の息子がちょうど幼稚園に通っていた頃に開業し、家族でよく遊びに行ったものです。

当時の新世界は、ガラが悪い、危ない、怖い、汚い、と言われた街でした。

地元の人達にとって、フェスティバルゲートは新世界の中の別世界、まさに夢の国でした。

フェスティバルゲート内には遊戯施設だけでなく、回転寿司やイタリアンなど様々な飲食店、衣料品店、イベントステージもありました。

しかし、来場客の減少により、2007年7月31日までに、ほぼ全ての店舗及びアミューズメントの営業が終了しました。

地元の人達とフェスティバルゲートの思い出話をすることがありますが、閉館したことがあまりにも残念で勿体ないと、口を揃えて言われます。

もし、今のように新世界が大阪を代表する観光エリアと言われるようになり、インバウンドの外国人観光客が多い時期にフェスティバルゲートがあれば、新世界はもっとすごい街になっていたかも、フェスティバルゲートができた時代が早過ぎたという声もありました。

フェスティバルゲートがあった場所には、現在、マルハン新世界店、MEGAドンキホーテ新世界店があり、新たな客層を取り込み、このエリアは新たな雰囲気になっています。

ちなみに、フェスティバルゲートがあった時代には、写真右奥の『あべのハルカス』は存在してません。

今年4月にはJR新今宮駅横に、『OMO7大阪by星野リゾート』が開業します。

関西国際空港から直結、新今宮駅周辺エリアのこれからの展開が楽しみであり、期待したいと思います。

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