1897

1897年(明治30年)畑地や荒地が広がっていた現在の新世界エリアが
大阪市に編入される

1903

1903年(明治36年)3月〜7月
第5回内国勧業博覧会開催

開催に合わせ現在の南海本線やJR関西本線など交通機関が次々と駅を開発
博覧会跡地を一大娯楽センターとする計画が立案される

1909年(明治42年)天王寺公園 誕生

万博跡地の東側約5万坪が大阪市により公園として整備される

万博跡地の残り西側約2万8千坪を「大阪の新名所」とする開発が始まる

1912

1912年(明治45年・大正元年)7月3日通天閣とルナパークが誕生

開業に合わせ新世界エリアはパリとニューヨークという欧米を代表する
二大都市の風景を模倣した街に再開発され芝居小屋や映画館、飲食店が集まる
南端中央の円形広場や広場から北へ広がる3方向の放射道路はパリの街並みをイメージ
北にはエッフェル塔に見立てた通天閣が立つ

現・恵美須東3丁目にはニューヨーク・コニーアイランドに実在した
遊園地を模したテーマパーク・ルナパークが開業
写真は前通りの大正館

通天閣とルナパーク内の白塔の間にはイタリアのCeretti&Tanfani社が製造した
日本初の旅客用ロープウェイが設置される

1915

1915(大正4年)
天王寺公園内に大阪市立動物園が開園

1919

1919(大正8年)
大阪国技館が新世界にて開業

1923

1923年(大正12年)ルナパーク閉園

跡地は大阪市電天王寺車庫に転用された

1938

1938(大正13年)
地下鉄御堂筋線延伸「動物園前駅」開業

1943

1943年(昭和18年)通天閣解体

第二次世界大戦中の金属類回収令による鉄材供出のために解体
空襲の標的になることも懸念された
加えて2年後の大阪大空襲では新世界も被災・壊滅することになる

1945

1945年(昭和20年)終戦

1947

1947年(昭和22年)
ジャンジャン横丁復興

1955年(昭和30年)代前半のジャンジャン横丁
右側:ニューワールド/王将/べにや/旧Zゲーム
左側:旧「新花月/晴洋/ひょうたん/お多福/ぜにや」
現・ジャンジャン横丁美術展

地域住民の熱い想いを込めた一大プロジェクト・通天閣再建が始まる

1956年(昭和31年)4月
再建中の通天閣

1956年(昭和31年)7月
完成が近い通天閣。浪花の空に威容を現し始めた
(写真協力:読売新聞)

1956

1956年(昭和31年)10月28日
現在の2代目通天閣が開業

昭和30年代前半のジャンジャン横丁北側入口
(現・お好み焼き呱呱前より撮影)

1961

1961年(昭和36年)
釜ヶ崎暴動

1965年(昭和40年)前後の通天閣南本通商店会
(写真協力:村上昭雄氏)

1966年(昭和41年)恵美須町
市電や横縞の市バスが行きかう高度経済成長時代
新世界すし半の看板も!
(写真協力:大阪市交通局)

右側 ロマン座(現パチンコ店)
正面 麻雀店(現居酒屋能登)春日通

通天閣北西の角 通天閣本通り
旧うを伊食堂(現コンビニ)/甘党三好/中華料理三好/更科

1970

1970年(昭和45年)
大阪万博開催

1975

1975年(昭和50年)
通天閣の入場者数が過去最低を記録

1980年代のバブル期に入り
大阪市電天王寺車庫跡地や新今宮駅北側に広がる
中山太陽堂(現:クラブコスメチックス)の
工場跡地の再開発計画が持ち上がる

1989

1989年(昭和64年)
昭和から平成に改元

1996

1996年(平成8年)
NHK連続テレビ小説「ふたりっ子」の舞台に
選ばれる

1997

1997年(平成9年)大型娯楽施設・
フェスティバルゲートとスパワールドが開業

(フェスティバルゲートは2008年に閉園)

2000

2000年(平成12年)〜
串カツ店が新世界の名物に

現在のジャンジャン横丁北側入口
右側:呱呱/松屋
左側:ジュース店/一富士/光/ホルモン道場

現在の通天閣北西の角
コンビニ(旧うを井食堂)
タクシー乗り場もできました

2014

2014年(平成26年)
あべのハルカス全面開業

2014年12月30日
マルハン新世界店 オープン

2015

2015年2月27日
MEGAドン・キホーテ新世界店 オープン

名物の串カツを求めるジャンジャン横丁の行列

国内外から多くの観光客が訪れる街へと成長した新世界
まだまだこれからも進化を続けますよ

2025

2025年(令和7年)
OSAKA KANSAI EXPO 2025