ところで、以前もブログで書きましたが、今年9月の台風21号以来、通天閣のネオンが消えています。
2018年 10月 の投稿一覧
様々な地域活動があり、それぞれが共存共栄していける街づくりが必要でしょう☆
新世界にはいくつもの地域団体があります。
新世界ハロウィン☆仮装コンテストの様子
昨日のブログでも掲載しましたが、10月27日(土)、新世界では初開催となるハロウィンを盛り上げるイベント「新世界ハロウィン」が行なわれました。
新世界フライングキッズvol.7でもオープニングダンスを披露してくれたグループです。
いつもかっこいいダンスを披露してくれます。
新世界でお馴染み、ぱんぷきんず。のミニライブもあり。
審査タイムには、キッズダンスチーム「F・D・S “ PON-PON”(エフディエスポンポン)」が元気なダンスを披露してくれました。
新世界フライングキッズvol.7にも参加してくれたキッズダンサー達です。
仮装コンテストでは、自己PRタイムもあり、皆さんの個性豊かな仮装が印象的でした。
関西軽音楽倶楽部オーケストラの女の子達も仮装コンテストに参加してくれました。
仮装コンテストに参加した皆さんの中から、千成屋珈琲店のミックスジュース賞、ココモよってぇ屋 新世界店賞、MEGAドン・キホーテ新世界店賞、HOME HOSTEL OSAKA 賞(宿泊券)、新世界賞が選ばれました。
参加者には参加賞もありました。
新世界らしさがあり、新世界を楽しんでもらえるような賞品を協賛していただいたました。
最後は全員で記念写真。
新世界で初めてのハロウィンイベントであり、どれぐらいの参加があるのか、閑散とした練り歩きになるかもしれない、イベントとして成立するぐらいの参加があるのか、集合時間まで全く解らない状況でした。
しかし、予想以上の参加があり、新世界ハロウィンが大盛況に終わり、来年の開催に繋がるイベントになりました。
初めてのハロウィンイベントで、多くの課題が残り、参加していただいた皆さんには不行き届きなところがあったかもしれません。
参加していただいた皆さんに感謝しています。
そして、イベントに協賛していただいた店舗の方々、警備などで協力していただいた商店主の皆さん、本当にありがとうございました。
仮装コンテストの会場として、場所提供していただいた「スパワールド世界の大温泉」さんにも感謝しています。
来年も新世界ハロウィンが開催できるよう、新世界にハロウィンが根付いていくよう、しっかりと計画していきたいと思います。
新世界ハロウィン☆仮装して新世界を練り歩き!
新世界の街をあげてのハロウィンイベント「新世界ハロウィン」が、10月27日(土)、初開催しました。
11月4日(日)、プロレスリング紫焔による新世界大会が開催されます☆
浪速区優秀店舗表彰式☆新世界からは「韓流スペース」と「Cafe & Bar Avanti」
私が日常的に見る文字をブログネタにしました☆
下の写真は、通天閣地下わくわくランドから外に出る階段に書かれている言葉です。
地球の歩き方 特派員ブログ☆ココモよってぇ屋 新世界店
https://m-tokuhain.arukikata.co.jp/osaka/2018/10/post_112.html
現在、建設工事中☆年々、変貌していく新世界の街並み!
下の写真は、現在、新世界で工事(建設または解体)が行われている場所です。
新世界エリアの範囲☆歴史的、行政的区分と観光エリア
先日、23歳になるうちの息子と「どこからどこまでが新世界なのか?」という、地元の人にとっては基本中の基本の話をしました。
私も新世界生まれ新世界育ち、息子も同じです。
息子が言うには、
若い世代の観光客は、通天閣を中心に観光を楽しめる範囲を概ね新世界というエリアと認識してる。
だから、ジャンジャン横丁を抜けて、環状線の高架を越えて、バックパッカーが泊まる簡易ホテルが並ぶあたりや、新世界から堺筋を渡ってスグのエリアも観光客にとっては新世界というイメージになってると思う。
だそうです。
私の反論は、
いやいや、それは違う。
新世界は大阪市浪速区恵美須東1丁目〜3丁目のエリアのことで、ジャンジャン横丁は新世界やけど、環状線の高架を南に越えたら西成区になる。
堺筋を西へ渡ったら、恵美須西になるので、新世界ではない。
新世界は約300m×600mの恵美須東という住所で表された場所や。
そのぐらい覚えとけ!
といった感じの親子の会話でした。
ウィキペディアにも
新世界は、大阪市浪速区恵美須東に位置する繁華街。中央やや北寄りに通天閣が建ち、南東部にジャンジャン横丁がある。
と書かれています。
行政からも新世界エリアとして、配布物や回覧がまわってきますので、恵美須東=新世界というのは間違いないことです。
歴史的経緯で新世界の成り立ちを説明すると、
1903年、第五回内国勧業博覧会が、今の天王寺公園、動物園、新世界の一帯を会場として開催されました。
1912年、一大娯楽施設「ルナパーク」が初代通天閣を中心に開園し、今の新世界の誕生となりました。
ウィキペディアには、
新世界のコンセプトは、現在の「テーマパーク」に似ており、パリとニューヨークという欧米を代表する二大都市の風景を模倣しながら、最新の文化や風俗を輸入・融合させる試みを行った。
街は北から順に、恵美須町1丁目(現・恵美須東1丁目)には南端中央に円形広場を設け、パリの街路に見立てた3方向の放射道路を北へ配すことになった。
放射道路は西から順に「恵美須通」(現・通天閣本通)、「玉水通」(現・春日通)、「合邦通」と命名された。北霞町(現・恵美須東2丁目)には北端中央にエッフェル塔を模した塔を建て、「仲町」とも称する中心街区を形成することとし、塔は儒学者である藤沢南岳により「通天閣」と命名された。
南霞町(現・恵美須東3丁目)にはニューヨーク・コニーアイランドのルナパークに似た遊園地を開くこととし、「ルナパーク」と命名された。
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