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2022年 2月 の投稿一覧

【約半世紀での新世界の変貌と現在のコロナ禍を考える☆】

新世界の約半世紀の変貌を説明するとき、約半世紀で新世界は『映画館の街』→『パチンコの街』→『串かつの街』に変わっていったという話をします。

現在、ジャンボ釣船『つり吉』の場所は、以前、『新世界ジャンボ』というパチンコ屋さんでした。

パチンコ『ジャンボ』ができる前は、『大映』という映画館でした。

『つり吉』の迎え側には、マクドナルド、くら寿司ができてますが、以前は「アルドーレ」、もっと昔は「ABC」というパチンコ店でした。

通天閣の目の前にあるスギ薬局の場所も以前はパチンコ屋さんでした。

今から考えると、観光エリアのど真ん中にパチンコ屋がひしめき合っていたように思いますが、当時は観光エリアというより、繁華街というイメージだったように思います。

さて、下はパチンコ『ニュー三共』創業当時の写真です。

昭和29年頃だと思います。

当時のパチンコは、椅子席ではなく、立って遊戯をしてました。

もちろん玉を弾くのは手動です。

遊戯台が並ぶ島の中には人がいて、それぞれの遊戯台に玉を運んでました。

今のパチンコとは全く違うので、若い世代の人達がイメージするのは難しいと思います。

その後、リニューアルしたパチンコ『ニュー三共』で、今から8年ほど前に廃業しました。

現在は串かつ『だるま』動物園前店になっています。

この半世紀、繁華街というイメージから観光エリアというイメージに変わっていき、コロナ前にはインバウンドによる外国人観光客も増え、新世界及び周辺地域では宿泊施設が増えました。

しかし今、まん延防止等重点措置により、観光エリアとしての新世界は大きなダメージを受けています。

写真は、1月31日(月)午後7時30分ごろの新世界です。

もし今、パチンコ屋がひしめき合い、常連さんが根付いていた新世界なら、ここまでダメージを受けていたのか、『もしも』を考えるとキリがないのですが、コロナ禍、いろんなことを考えてしまう今日この頃です。

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【新世界100周年事業を振り返って☆ 新世界&天王寺動物園百年祭協働委員会】

先日、ある人から『新世界100周年事業の写真はありませんか?』と聞かれたので、探してみました。

1912年7月3日、一大娯楽施設『ルナパーク』が開業し、それを新世界の誕生としています。

2012年7月3日に、新世界は生誕100周年を迎えました。

2011年の阪堺線(恵美須町~大小路)開通100周年から2012年の新世界100周年、2015年の天王寺動物園誕生100周年までの5年間を「新世界&天王寺動物園百年祭」としました。

大阪市においても、このエリアは、集客観光施策の中で、非常に大きな役割が期待され、行政と地域住民・企業とが連携して一緒に100周年を盛り上げるため、大阪市長を委員長とする『新世界&天王寺動物園百年祭協働委員会』を立ち上げました。

2015年の天王寺動物園100周年まで、同委員会のもと、様々な企画や催しが展開されました。

ちなみに、今では天王寺動物園ではお馴染みのナイトZOOも天王寺動物園100周年を機に始まりました。

そんなわけで、過去の写真を探してみました。

通天閣には新世界誕生100周年の告知が掲示されました。

2012年7月28日(土)、29日(日)の2日間、新世界100年祭の式典、イベントが開催されました。

現在の『ココモよってぇ屋 新世界店』、当時は店舗は無く、駐車場だったので、その駐車場を2日間貸してもらって開催しました。

2012年6月18日の朝日新聞 夕刊です。

記事の左にある通天閣入場者数の推移を見れば、新世界100周年によって、観光客が増えたのが解ります。

このように、新聞、テレビ、ネットニュース、雑誌など、様々な形で新世界100年を紹介していただきました。

2011年、阪堺線(恵美須町~大小路)開通100周年記念式典の様子です。

場所は阪堺電車『恵美須町駅』です。

プラットホームに並んでいる女の子達は、当時、新世界PR大使を務めていた『OSAKA翔GANGS』です。

新世界100周年メインキャラクターにキン肉マンが採用され、様々なキン肉マン関連イベントが行われました。

当ブログは新世界100年周年が終わった2012年9月からスタートしたので、当時のことをリアルに紹介した記事がありません。

しかし、新世界100年周年事業については、これからも記憶に残すべき一大事業であり、たまにこのブログでも紹介していこうと思います。

来年2023年は新世界111周年を迎えるにあたり、何か記憶に残る事業を考えていきたいと思っています。

まずはコロナが落ち着いて、街の中に新世界111周年を盛り上げようという機運が高まることを期待しています。

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【今となっては『幻のフェスティバルゲート』ですね☆】

以前、JR環状線『新今宮駅』から改札を出たら、真正面に見えた大きな施設ですが、この写真、何かわかりますか?

大型遊具や娯楽施設と商業施設を合体させた都市型立体遊園地『フェスティバルゲート』です。

新世界のお店で働く若い世代の人達に、『フェスティバルゲートって知ってる?』と聞いても、ほとんどの人が知らないようです。

今となっては、幻のフェスティバルゲートですね。

元々、この場所には大阪市交通局の市電天王寺車庫(霞町車庫)がありましたが、長年の間、広大な空き地になっていて、地元では大きな課題になってました。

フェスティバルゲートは、第三セクターのフェスティバルゲート株式会社によって運営されてました。

いわゆる霞町車庫跡問題がようやく解決し、1997年7月18日、フェスティバルゲートが開業しました。 

東隣には同時期に開業したスパワールドがあります。

フェスティバルゲートは、私の息子がちょうど幼稚園に通っていた頃に開業し、家族でよく遊びに行ったものです。

当時の新世界は、ガラが悪い、危ない、怖い、汚い、と言われた街でした。

地元の人達にとって、フェスティバルゲートは新世界の中の別世界、まさに夢の国でした。

フェスティバルゲート内には遊戯施設だけでなく、回転寿司やイタリアンなど様々な飲食店、衣料品店、イベントステージもありました。

しかし、来場客の減少により、2007年7月31日までに、ほぼ全ての店舗及びアミューズメントの営業が終了しました。

地元の人達とフェスティバルゲートの思い出話をすることがありますが、閉館したことがあまりにも残念で勿体ないと、口を揃えて言われます。

もし、今のように新世界が大阪を代表する観光エリアと言われるようになり、インバウンドの外国人観光客が多い時期にフェスティバルゲートがあれば、新世界はもっとすごい街になっていたかも、フェスティバルゲートができた時代が早過ぎたという声もありました。

フェスティバルゲートがあった場所には、現在、マルハン新世界店、MEGAドンキホーテ新世界店があり、新たな客層を取り込み、このエリアは新たな雰囲気になっています。

ちなみに、フェスティバルゲートがあった時代には、写真右奥の『あべのハルカス』は存在してません。

今年4月にはJR新今宮駅横に、『OMO7大阪by星野リゾート』が開業します。

関西国際空港から直結、新今宮駅周辺エリアのこれからの展開が楽しみであり、期待したいと思います。

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【新世界における地域活動とコロナ禍での問題点☆】

通天閣のすぐ下にある新世界会館では、新世界の町内会や地域団体の会議が行われています。

戦後まもなく新世界町会連合会が発足し、その頃から新世界会館があったようです。

以前、昔の写真で見たことがありますが、2代目通天閣の再建予定地のそば(現在の場所あたり)に、現在の建物とは形状が違う新世界会館らしき建物が存在してました。

さて、先日も新世界会館で会議が行われました。

14時〜15時 新世界連合振興町会 町会長会議

15時〜16時 新世界地域活動協議会 役員会

2つの会議が続けて行われ、たまにこういうことがあるんです。

同じような名称の団体ですが、それぞれ役割や活動内容が違い、両方に所属しているメンバーもおられます。

新世界連合振興町会の町会長会議では、浪速区役所からの報告事項や配布物、回覧を受け取りました。

また、「地域活動協議会」とは、おおむね小学校区を範囲として、地域団体やNPO、企業など地域のまちづくりに関するいろいろな団体が集まり、話し合い、協力しながら、さまざまな分野における地域課題の解決やまちづくりに取り組んでいくための仕組みです。

新世界地区にも地域活動協議会があり、防犯パトロール、清掃活動、新世界夏祭り、新世界フライングキッズ、高齢者向けの活動では、食事サービス、百歳体操など、地域に根付いた様々な活動を行っています。

しかし、一昨年春から続くコロナ禍において、感染防止のため、地域の行事やイベント、会議など、人が集まる状況を作ることが難しくなり、昨年度と今年度は新世界地域活動協議会の活動もほとんど動いてませんでした。

会議では、今期3月までの活動、および、来期に向けての取り組みについて話し合いました。

下の写真は、近日中に新世界の町内会でまわす回覧です。

これらの回覧用紙を各町会の班長さん、町会長さんに配布して回覧してもらいます。

確定申告について、SDGsについて、それに、まん延防止等重点措置による飲食店の時短要請について等、時節に応じた回覧内容です。

また、恵美 • 新世界連合振興町会区域図は各町会員さんに、毎年一回、配布します。

この地図は観光マップではなく、全ての店舗や建物の名称が記載されている詳細地図です。

新世界は繁華街、観光エリアという特徴があり、街の活動といえば、賑やかなイベント事をイメージしやすいですが、他の地域と同じ地域団体があり、同様の地域活動が行われています。

新世界が他の地域と違うところを挙げるとしたら、新世界には飲食店をはじめ様々な店舗があり、それらのお店のゴミは民間業者が回収しています。

基本的には、元旦以外、毎日回収してくれますので、行政が指定したゴミの回収日は、あまり認識してないのが現状です。

また、他の地域では影響ないと思いますが、まん延防止等重点措置が適用され、新世界の場合、休業しているお店もあり、回覧板や配布物が全てのお店に行き届きにくくなることが、コロナ禍での問題点のひとつです。

コロナ禍が続くことにより、街のイベントだけでなく、日頃の地味な活動にも影響が出てしまいます。

2022年は始まったばかりですが、スムーズに地域活動を進める上でも、今後のコロナの状況が気になるところです。

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【浪速日本橋東郵便局が移転☆大阪新世界郵便局として再スタートします!】

国道25号線沿い、地域の区分でいうと日本橋東になりますが、『浪速日本橋東郵便局』は、周辺地域の皆さんはもちろん、昔から新世界の人達にとっても馴染みのある郵便局です。

『浪速日本橋東郵便局』は、私が子供の頃には既に存在し、母親に連れられて行った思い出もありました。

近隣の飲食店には郵便局で働く人達もよく立ち寄り、地域に根付いた郵便局です。

さて、近隣の方々の中には、既に知っている方がおられますが、『浪速日本橋東郵便局』が移転することになりました。

正式にはシークレットになっていたので、これまでブログでは公表しませんでしたが、新世界の中に移転されることになりました。

移転先は、地下鉄堺筋線『恵美須町駅』3番出口を上がってスグ、通天閣本通商店街、『富よし』という居酒屋があった場所です。

現在は工事中になってます。

2022年2月21日(月)に移転し、局名が『大阪新世界郵便局』に変更となります。

先日、浪速日本橋東郵便局に立ち寄ったとき、局員の方から移転のお知らせのチラシをいただきました。

浪速日本橋東郵便局の移転、局名変更については、下記ホームページに掲載されています。

https://www.post.japanpost.jp/newsrelease/storeinformation/detail/index.php?id=5434
移転・改称:浪速日本橋東郵便局(大阪府) – 日本郵便
リンク
www.post.japanpost.jp

新世界の商店主さん達は、

郵便局が近くなって便利になりますね。
郵便局が新世界にできることで、多くの人が新世界に立ち寄るきっかけになり、嬉しいことです。

とおっしゃる方が多く、歓迎ムードです。

私にとっては、郵便局が近くなるのは便利であることはもちろん、局名が『大阪新世界郵便局』に変更になり、郵便局の名称に『新世界』という地域名が入ることが嬉しいです。

新世界の人達にとっては、より一層、身近な郵便局になるでしょう。

郵便局の局長さんにお願いして、郵便局の移転、局名変更について、新世界町会連合会で回覧することにしました。

また、地下鉄堺筋線『恵美須町駅』のすぐ近くには、今年4月、『テニススクール • ノア通天閣前』がオープンすることになりました。

ここも現在は工事中です。

一方、通天閣では、今年のゴールデンウィークごろ、新たな体験型アトラクションとして全長60m、らせん状の滑り台 「TOWER SLIDER(タワースライダー)」 が完成するようです。

先日、深夜12時ごろ、大掛かりな工事が行われてました。

下は完成イメージ図です。

現在、コロナ感染拡大により、大阪府には『まん延防止等重点措置』が適用されてますが、そんな中でも様々な建設工事やリニューアル工事が進んでいるのを見ると、街は常に動いているのを実感し、未来に向かっての希望を感じる今日この頃です。

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【昭和の新世界名物『びっくりぜんざい』と幻の『ネーポン』☆】

ジャンジャン横丁を北側に出たところにある喫茶タマイチは創業90年を誇る老舗の純喫茶です。

私もちょくちょく立ち寄る喫茶店です。

喫茶メニューからサンドイッチ、軽食まで、純喫茶にあるメニューは一通り揃ってます。

先日、私が立ち寄った時は、ホットココアを注文して、ほっこり温まりました。

店内を見渡すと、気になるメニューのチラシが貼ってありました。

『びっくりぜんざい』は昭和30年代〜40年代の新世界名物のひとつでした。

 『びっくりぜんざい』は丼に入ったぜんざいで、通天閣前にあった『からさき食堂』のほか、数店の看板メニューで男性に好まれていたが、1970(昭和45年)ごろに姿を消しました。

喫茶タマイチの店主さんは、うっすらとした記憶と、食べたことのある人からの意見を聞き、何度も試食を重ねて再現したそうです。
昭和40年代のことですから、地元でも『びっくりぜんざい』を食べたことがある人は少なく、探すのが大変だったそうです。
『びっくりぜんざい』は、冬場になると、ちょくちょく注文があるそうで、人気メニューのひとつです。

また、こんなチラシも貼ってありました。

ネーポンって知ってますか?

ネット検索して調べてみました。
ネーポンは1990年代まで関西を中心に販売されていた、ネーブルとポンカンの果汁を使った柑橘系の清涼飲料水です。

神戸にあったツルヤ食料品研究所という会社で1960年代から製造されていて、1994年に「たけし さんまの世界超偉人伝説」というTV番組で何度も取り上げられて以降、人気に火が付いたらしい。

しかし阪神淡路大震災の影響などもあり、1997年にはネーポンの製造が終了。

2007年には販売元のツルヤ食品工業も廃業し、名実共に”幻のジュース”となってしまいました。

しかし2019年、ネーポンの愛飲家によって、4倍希釈のシロップとして復刻を実現しました。

そんな関西の伝説的飲料『ネーポン』が、NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」の視聴者の間で話題になっているそうです。

主人公・るいが働くクリーニング店の近くに貼られたオレンジ色と水色のポスターから、昭和から平成時代に関西で愛された『ネーポン』を思い出す人が続出。

”朝ドラ効果”で売り上げが伸びているらしい。

そのような伝説の『ネーポン』が喫茶タマイチでも飲むことができます。

喫茶タマイチの店主さんに、なぜ、ネーポンを始めたのか聞いてみたら、常連さんがたまたま持ってきてくれて、一度、飲んでみてくださいと言われたところから商品化になったそうです。

『喫茶タマイチ ネーポン』で検索してみたら、いろいろ情報が出てきます。

YouTube動画でも紹介されてるようです。

次回は私もネーポンを飲んでみたいと思います。

喫茶タマイチには何回も行ってますが、立ち寄るたびに、懐かしくレトロな話題が見つかるのがおもしろい。

長年の歴史が蓄積されたお店は奥深いと感じる今日この頃です。

みなさんも喫茶タマイチに立ち寄ったら、懐かしく新しい発見ができるかもしれませんね。

■下記、伝説的飲み物『ネーポン』が紹介されてます。写真は喫茶タマイチ店内で撮ったそうです。

https://yorozoonews.jp/article/14526579

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