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【ジャンジャン横丁の歴史と豆知識を紹介します☆】

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1912年、新世界に一大娯楽施設『ルナパーク』が開園しました。

これが当時の新世界マップです。

南北が逆になってますが、地図の中央に初代通天閣、ルナパークがあります。

地図の左上に『裏町』と書かれた細い道がありますが、これこそ、今のジャンジャン横丁です。

ジャンジャン横丁は、大正時代には『石見町』、『食傷小路』などと呼ばれていたらしい。

裏町よりも出世したようです笑

そして、昭和の初め頃には『軍艦横丁』と呼ばれていたそうです。

ちなみに、下の写真は昭和30年代のジャンジャン町北入口です。

現在のようなアーケードがある商店街ではなかったんですね。

ジャンジャン横丁の北入口にあった『天津甘栗』の看板は、私が子供の記憶に残っています。

下の写真は、現在のジャンジャン横丁北入口です。

時代とともに、街の名称、街の風景も変わっていきますね。

ところで、一般的には『ジャンジャン横丁』と呼ばれていますが、実は、私が子供の頃はジャンジャン町と呼んでたんです。

個人的には、ジャンジャン町という言い方のほうがしっくりくるんです。

現在は、商店街及びメディア関係も含め「ジャンジャン横丁」という名前で発信しています。

それに、『ジャンジャン横丁』は商標登録もされているそうです。

今から14〜15年ほど前、ジャンジャン横丁の店主さんのグル-プが、『ジャンジャン横丁』か『ジャンジャン町』、どちらの名前がいいか、一般人にアンケートを取ったこともありましたが、『ジャンジャン横丁』が多数を占めました。

当時、NHKのニュースでも紹介され、大々的にジャンジャン横丁という呼び方が勝利したと報道されました。

しかし、地元民の中には、ジャンジャン町の方が馴染みがある方もいるでしょう。

商店街名を「ジャンジャン横丁」と決めた元理事長に聞いたところ、『横丁でも町でも、言いやすい方を使って下さい』と言ってました。

ですから、商店街のア-ケ-ドには、写真のように、『ジャンジャン横丁』と『ジャンジャン町』の2種類の表示があります。

実は、ジャンジャン横丁でもジャンジャン町でも、どちらも通称名で、正式な商店街名は「南陽通商店街振興組合」といって、行政関係の広報誌には、正式名が使われることが多いようです。

『ジャンジャン横丁』の「ジャンジャン」は三味線の音が由来です。

昔、店の中から三味線や太鼓など、鳴り物の音が賑やかな商店街だったところから「ジャンジャン」になったそうです。

今は三味線の音は聞こえてきません。

コロナ禍で休業している店舗もあり、コロナ前のような賑わいはありません。

一日も早くコロナが収束し、以前のように、賑わいのあるジャンジャン横丁に戻ることを願うばかりです。

★Twitter@shinsekaizyoho
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