クラウドファンディング

【新世界、半世紀の変貌とコロナ禍、そして今後☆】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

現在、大学で社会学研究をされている八木寛之氏は、【都心繁華街における商店街活動の都市社会学研究 :大阪『新世界』における商店会組織と地域イメージの変容】という論文を書かれました。

八木先生は、新世界の研究をするにあたり、15年ほど前から新世界の地元民とコミュニケーションをとり、当時、様々な地域行事にお手伝いに来てくれたり、飲み会も参加し、翌朝に帰ったこともありました。

研究とうだけでなく、人と人との繋がりを持ち、新世界に根付いて研究されていたと記憶しています。

私も八木先生から取材していただいたことがあり、私なりに新世界の移り変わりを説明したことがありました。

論文の中に、下のような新世界マップが掲載されています。

この図は、1961年、1992年、2008年をピックアップして、映画館、パチンコ店、串かつ店に場所を色分けして表したものです。

この半世紀が中で、新世界が『映画館の街』→『パチンコ店の街』→『串かつの街』に移り変わっていく様子が解ります。

例えば、下の写真の『串かつ 朝日』の場所ですが、1961年には東宝敷島という映画館でした。

1992年にはパチンコ店になっていて、現在は大型の串かつ店になっています。

映画館という広いスペース的に、パチンコ店に変わりやすかったし、パチンコ店の広いスペースに大型の串かつ店が進出してきたという流れです。

新世界は映画館や大衆演劇、パチンコ店、麻雀店、ゲームセンターがあり、弓道場やZゲームなど、様々な娯楽があった『繁華街』『歓楽街』でした。

当時も串かつ店はありましたが、カウンター席が中心のお店で、今のようにファミリーで串かつを食べるというイメージではなく、おっちゃんが一人で串かつを食べながらビールを飲むというイメージでした。

2008年頃には、新しい串かつ店が増え始め、新世界の名物グルメとなり、新世界は大阪を代表する観光地というイメージが強くなりました。

観光客向けの店舗が増え、数年前からは、インバウンドの外国人観光客向けの店舗や宿泊施設も増え、現在に至ります。

新世界には通天閣があり、スパワールドがあり、天王寺動物園が隣接し、JR新今宮駅など、いくつもの最寄駅があるので、確かに、観光地、観光拠点として発展する要素は備わってました。

しかし、昨年春から世界規模で新型コロナウィルスの感染拡大が続き、日本でも収束するのは、まだまだ先のことでしょう。

海外からの人の流れは完全にストップし、国内旅行も自粛する状況が続いています。

観光業、宿泊施設は壊滅的なダメージがあり、飲食店でも休業要請や時短営業要請によって厳しい状況が続いています。

夜8時を過ぎたら、飲食店が閉店し、街は閑散となります。

観光地は外的要因に影響されやすいのが特徴で、波に乗っている時は、かなり賑わいがあり、観光ほど儲かるものはないという気持ちになりますが、今のような外的要因があると悲惨な状況になってしまいます。

地元、近隣、大阪の人が集まる繁華街、歓楽街は、どちらかというと、外的要因に大きく影響されにくい面があるようです。

それぞれの店舗が、観光客、外国人が戻ってくるのを待つべきか、状況に応じて方針を変える機会にするべきか、悩みながらの状況が続きそうですね。

半世紀の中で、映画館の街→パチンコ店の街→串かつの街へと変わったように、時代によって、取り巻く環境によって、変化を受け入れ、自らも変わることも必要だと思う今日この頃です。

★Twitter@shinsekaizyoho
「愉快・痛快・新世界情報」では、新世界のイベント情報や最新情報を発信しています。

※ 当blog掲載の写真・動画等、無断での複写(コピー)及び、コンテンツの転載転出を禁じます。 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*