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【新世界てんこ盛り新聞☆新世界の街おこし、第一歩を踏み出した時代!】

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新世界てんこ盛り新聞、いったい何でしょうね?

実は、私にとって懐かしい新聞です。

新聞の左上に、平成20年に発行と記載されています。

今から14〜15年ほど前ですね。

当時、新世界では、2代目、3代目の商店主により、幾つかのグループが発足してました。

現在のように、大阪を代表する観光エリア、串かつ屋がひしめき合う賑やかな街、というイメージはなく、以前からのガラが悪い街、危ない、怖い、汚いというイメージが強かった時代です。

そんなイメージが強かった街ですが、少しでも新世界の魅力を知ってもらおう、新世界の活性化にむけて動き出そう、そのように熱意を持った地元の商店主さんらが立ち上がった時代でした。

この新聞を発行したのは『てんこ盛り倶楽部』というグループで、上杉酒店、半田酒店、喫茶タマイチ、その他、何人かの集まりで、私もこっそりと籍を置いてました。

それぞれの店の後継ぎである若手が集まりましたが、今では、それぞれの店の店主さんになっています。

2012年に新世界100周年、2015年には天王寺動物園が100周年を迎えるということを初めて言い出したのが『てんこ盛り倶楽部』だったと記憶しています。

この新聞は、先日、上杉酒店の店主さんからいただいたもので、懐かしい新聞です。

天王寺公園内にある茶臼山の歴史から始まり、大阪夏の陣、第五回内国勧業博覧会、新世界ルナパーク、天王寺博覧会、天王寺公園有料化などを例に挙げ、新世界と天王寺公園が兄弟として共に歩んできたことが書かれています。

新聞には、茶臼山は古墳だったという説があると書かれてますが、私も聞いたことがあります。

この『新世界てんこ盛り新聞』は、配布物というより、壁新聞として使われ、当時、新世界のあちらこちらに掲示されてました。

実は、この新聞を大阪市内の他の地域で貼ってもらうようお願いしたら、ある大きな繁華街では、怖いイメージがある新世界の壁新聞を貼ることは難しいと、断られたことがあったそうです。

当時、新世界にとって、街おこしの活動は、希望と挫折の繰り返しだったように感じます。

今となれば、この新聞をほしいという人が増え、問い合わせもあるらしい。

興味がある方は、上杉酒店に立ち寄って、ちょっと聞いてみてはいかがでしょうか。

新聞は進呈できないと思いますが、見せてくれるかもしれませんね。

★Twitter@shinsekaizyoho
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