クラウドファンディング

【家の中で眠っている新世界の古い写真☆今となれば、貴重な一枚になるかもしれませんね!】

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先日、ある新聞社の記者が、私のところに挨拶に来ていただきました。

挨拶ですから、具体的に取材とかではなく、新世界のことについて雑談をしてました。

その記者は、毎日、新世界の情報ブログを見てくださってるそうで、本当に嬉しいことです。

話の中で、1950年代(昭和30年代)の新世界の写真を見つけるのが大変だとおっしゃってました。

確かに、1980年代ぐらいまでの新世界の写真は、なかなか少ないように感じます。

今でこそ、大阪の観光スポットとして、多くの人が新世界の写真を撮り、SNS映えする写真も多いようです。

しかし、当時の新世界は、今のような大阪を代表する観光エリアという位置づけでもなく、どちらかというと、ガラが悪い、汚い、危ない、とか言われた街ですから、地元の私達も、あえて新世界の街並みの写真を撮ろうなんて考えませんでした。

通天閣ですら、展望台に上ったお客さんが、『通天閣て、なんも見るもん無かったやんけ!』と、ボヤきながら出て来られた光景を度々見たことがあったぐらいですから、ほんま仕方ないですね。

さて、私の家にあった古い写真を紹介しましょう。

ジャンジャン横丁の『ジャンジャン』の由来は、
その昔、三味線や太鼓などの鳴り物の音が、一日中、ジャンジャン鳴り響き、賑やかな商店街だったことから、三味線の音をとって、通称「ジャンジャン横丁」と言われるようになりました。

■下の写真は、おそらく昭和20年代のものだと思いますが、『ジャンジャン』の由来が三味線の音だという証拠にもなる貴重な一枚です。

ジャンジャン横丁から、どこか路地に入ったあたりで撮った写真と思われます。

3人の女性たちが、三味線や太鼓などの鳴り物をを持っているのが解ります。

ちなみに、写真の奥の方に、『女紹介所』という看板が見えますが、これは、皆さんが想像しているような場所ではなく、お店の女中さんを斡旋するところだと、私の亡き父が申しておりました。

■下の写真は、私の家に保管してあったもので、昭和40年代の新世界の風景です。

写真左、今の串かつ「横綱」の場所には日吉食堂がありました。

「めし」と書かれてある看板が、見えるのが解るでしょうか?

日吉食堂のもっと向こうには、パチンコ・麻雀 ニュー三共の看板が見えます。

写真右、向こうの方に、マルトミの看板が見えます。

当時、マルトミでは、「叩き売り」が行われ、人集りができてました。

その手前には、スマートボールの看板が微かに見えます。

その手前には、「喫茶バンビ」の看板の一部が見えます。

写真右、「づぼらや」のフグの提灯が見えます。

当時、スパワールドもちろん無い時代であり、『づぼらや』別館は、通天閣から南へ突き当たりにありました。

スパワールドへの道は無く、『づぼらや』で、行き止まりになってました。

このように、古くからお店をされている方なら、もしかしたら、家の中に、古い写真が眠っているかもしれませんね。

今となれば、貴重な一枚になるかもしれません。

新世界 地元のみなさん、時間があるときに、探してみてはいかがでしょうか。

★Twitter@shinsekaizyoho
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