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今宮商業倶楽部☆これが新世界のルーツ

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10年ほど前、新世界の商店主さんから古い資料を見せてもらいました。

見たことがない資料で、「これ何?」と質問したぐらいです。
皆さんは、これがどこの場所か解りますか?


新世界が歴史に登場してくるのは、明治時代になってからです。 


「今宮村」を中心に単なる葱畑を主にした田畑が点在していました。


その「今宮村」とは、のちに新世界が出現する地域である。

1889(明治22)年、「今宮村」に民間資本の共同出資による今宮商業倶楽部(「偕楽園商業倶楽部」と称した)が創立しました。
洋館五層楼の本館、商品陳列館、蒸気機械館、料理店茶店、温泉、ビリヤードと、付属された庭園「偕楽園」には舟が浮かび滝と噴水が彩りを添え、さらに室外運動場や競馬場まど備えた一大娯楽施設でした。

今宮商業倶楽部創立の名目は 企業経営者のための親睦団体であり社交場であったが、会員だけでなく一般人も安い料金で利用できました。

この今宮商業倶楽部こそが、1903(明治36)年開催の第5回内国勧業博覧会、後にルナ
パーク、新世界へと繋がっていく起爆剤となりました。


今宮商業倶楽部についての資料が少ないようですが、明治時代に、既に新世界のル-ツとも言える一大娯楽施設が存在していたんです。

この資料は今宮商業倶楽部のコンセプトを見る上で本当に珍しく貴重なものだそうです。


第五回内国勧業博覧会の跡地利用に際して大阪市は、東半分を天王寺公園として自ら整備し、西半分を民間に委ねて、一帯を従来にない健全娯楽地とする方針を定めます。

この構想を受けた大阪土地株式会社は1912年、パリとアメリカを連想させる一大娯楽地「新世界ルナパーク」を開業します。

ルナパーク開園から数え、2012年には新世界100周年を迎えました。

2022年には新世界110周年になります。

今は大阪を代表する観光地であり、観光拠点にもなっている新世界ですが、今宮商業倶楽部~第5回内国勧業博覧会~ルナパークにかけての時代は、当時の流行の最先端、最新の技術を駆使した施設として存在してたんですね。




★Twitter@shinsekaizyoho
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