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新世界で封切映画を観れた時代があった☆ジュエリーヨネダの店主さんの話より

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 先日、所用で「ジュエリーヨネダ」さんに行きました。

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「ジュエリーヨネダ」は、通天閣から南へ約50mの場所にあり、おしゃれな貴金属やアンティーク、パワーストーンなどを販売しています。

時計の電池交換もその場でしてくれます。

ジュエリーヨネダさんは昭和23年に創業だそうで、今の店主さんはお父さんの代から引き継いでおられ、新世界の半世紀以上の動きを見てこられた人です。

その店主さんも新世界の情報ブログをよくご覧になっておられます。

お客さんから、新世界のブログを見て、ジュエリーヨネダのことを知りましたという声もあったようです。

自分の店からの情報発信はしていないので、新世界の情報ブログで掲載した過去の記事が唯一の情報発信だそうで、ありがたいと言っていただき、本当に嬉しく思います。

ところで、ジュエリーヨネダの店主さんから過去の記事の間違いを指摘していただきました。

以前、新世界にはたくさんの映画館があり、今の串かつ「鶴亀家」の場所に「東映」という映画館があったと、そんな内容の記事でしたが、正しくは、松竹の映画館があったそうです。

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私が小学生の時の記憶を頼りに記事を書いてた部分であり、確かに「松竹」が正解でした。


昭和40年代頃まで、新世界には7軒もの映画館があり、上映が終わると映画館からお客さんがどっと出て来て、周辺の飲食店はお客さんでいっぱいになったという話を聞いたことがありました。


ちなみに、釣り船居酒屋「つり吉」の場所には、大映という映画館がありました。

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今も新世界東映は健在で、現在は、昔の日本映画を上映する、いわゆる名画座になっています。


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ジュエリーヨネダの店主さんによると、新世界にあった映画館は「封切館」で、当時の最新の映画を観れたそうです。

ウィキペディアによると、当時、封切館より立地の劣る区域には、封切館から1~2週間遅れで新作を上映する二番館というものもあり、更に遅れて上映する三番館というものも存在したようです。

この映画館の階級付けはシネコンの登場で、現在では薄まっているようです。

そんなわけで、新世界の封切館では、公開初日には俳優さんが来られ、舞台挨拶を行うこともあったそうです。

任侠映画などの封切の際には、高倉健さんも舞台挨拶に来られたことがあったそうです。

高倉健さんの任侠映画を観たあと、肩を怒らせて歩くお客さんもおられた、そんな、ほのぼのした時代だったようです。

日々、私はブログを通じて新世界の情報発信をしていますが、新世界の情報量や奥深さについて、まだまだ未熟であったと思います。

ジュエリーヨネダの店主さんと話をして、今まで以上に、新世界に携わる多くの人の話を聞き、その話を後世に伝えていくことも新世界の情報ブログが持つ役割であると実感いたしました。

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