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新世界の名物娯楽復活へ☆『新・世界一長~~い大縁台将棋』開催します!

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新世界にゆかりのある将棋名人、坂田三吉翁の功績を称える王将碑が通天閣下にあります。

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坂田三吉は大阪府堺市の生まれ。

生業の草履表づくりを手伝いながら、将棋を覚えました。

1886年(明治19年)ごろ、新世界からすぐ近く、、通天閣が見える場所(西成区太子町あたり)に住んでいたらしく、日本橋の履き物問屋に丁稚奉公をしていました。

町角の縁台将棋によく顔を出し大人を負かせるなど早熟の天才振りを見せていました。

しかし、将棋に夢中になるあまり背負っていた奉公先の子供を負傷させ、暇を出されたといわれています。

1955年(昭和30年)、日本将棋連盟から坂田三吉に、名人・王将の称号が贈られました。

村田英雄の歌『王将』の歌詞の中にも通天閣が登場したり、坂田三吉を主人公にした映画『王将』には初代通天閣、ライオン歯磨の広告も映っています。

坂田三吉と通天閣、人情の街「新世界」の状況が色濃く表現された歌であり映画です。

昭和40年代には新世界には4~5軒の将棋センタ-があり、将棋は庶民の遊びとしても根付いてました。

通天閣の地下が将棋センターだった時代もありました。


看板から、将棋センターに通天閣歌謡劇場が併設されているのがわかりますね。

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昭和40年代といえば、新世界は映画の街でもあり、新世界で全ての封切映画が観れたと言われていましたが、映画の衰退が始まり、新世界の状況も少しずつ変わりゆく時代でもありました。

また当時は、新世界の対外的なイメ-ジも悪い時代でした。

様々な状況の中、地元の中でも危機感が募り、地元有志が新世界の活性化に何かできることはないかと動き始め、新世界に縁が深い坂田三吉の偉業を称えようとする機運が高まり、新世界町会連合会は昭和44年10月、通天閣下に王将碑を建立しました。

しかし今、常連客の高齢化、それに新世界への来訪者の世代の変化、娯楽の多様化などがあり、将棋センターが減り、ジャンジャン横丁にある「三桂クラブ」、一軒だけになりました。

そんな中、新世界の名物娯楽であった「将棋」を復活させるべく、多くの方が将棋を楽しめるイベントが予定されてます。

来たる10月1日、『新・世界一長~~い大縁台将棋』と題して、青空の下、通天閣本通商店街で縁台将棋風に将棋大会を開催することになりました。


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今回で第3回目の開催となり、新世界での名物イベントになりそうですね。
また、参加者の募集も行われているようで、腕を試したい方は参加してみてはいかがでしょうか。
★Twitter@shinsekaizyoho
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