以前にも掲載しましたが、7月上旬に、ダスキンのウェブCM撮影が新世界で行われました。
★Twitter@shinsekaizyoho
以前にも掲載しましたが、7月上旬に、ダスキンのウェブCM撮影が新世界で行われました。
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ところで、通天閣は1956年10月28日から営業を開始し、日立は1957年7月から今日にいたるまで、通天閣の広告スポンサーとしてパートナーシップを築いています。
と言っても、「ARアプリ」という言葉に馴染みがない方がほとんどでしょう。
日本語で言うと、
AR=拡張現実
だそうです。
「通天閣60周年記念 日立ARアプリ」とは、AR機能を搭載したコンテンツで、現在の新世界の風景と過去の新世界の風景を見比べることができます。
過去と現在、新世界の風景の違いなどを楽しめるアプリになっています。
さて、通天閣では、地下の売店で「通天閣60周年記念 日立ARアプリ」の画面を提示したら、「くまモンうまい棒」がプレゼントされるそうです。
私のスマホにも「通天閣60周年記念 日立ARアプリ」が入ってますが、アプリを開くと、こんな画像が出てきます。
新世界でのイベントの時に撮る集合写真はもちろん、観光客から写真を撮ってほしいと頼まれた時など、小さなことですが、実践していることがあるんです。
先週のことですが、新世界の商店街の雰囲気がいつもと違うことに気付きました。
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この十年、新世界は様々な面で変わりました。
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新世界にゆかりのある将棋名人、坂田三吉翁の功績を称える王将碑が通天閣下にあります。
坂田三吉は大阪府堺市の生まれ。
1886年(明治19年)ごろ、新世界からすぐ近く、、通天閣が見える場所(西成区太子町あたり)に住んでいたらしく、日本橋の履き物問屋に丁稚奉公をしていました。
町角の縁台将棋によく顔を出し大人を負かせるなど早熟の天才振りを見せていました。
1955年(昭和30年)、日本将棋連盟から坂田三吉に、名人・王将の称号が贈られました。
村田英雄の歌『王将』の歌詞の中にも通天閣が登場したり、坂田三吉を主人公にした映画『王将』には初代通天閣、ライオン歯磨の広告も映っています。
坂田三吉と通天閣、人情の街「新世界」の状況が色濃く表現された歌であり映画です。
昭和40年代には新世界には4~5軒の将棋センタ-があり、将棋は庶民の遊びとしても根付いてました。
通天閣の地下が将棋センターだった時代もありました。
また当時は、新世界の対外的なイメ-ジも悪い時代でした。
様々な状況の中、地元の中でも危機感が募り、地元有志が新世界の活性化に何かできることはないかと動き始め、新世界に縁が深い坂田三吉の偉業を称えようとする機運が高まり、新世界町会連合会は昭和44年10月、通天閣下に王将碑を建立しました。
通天閣本通商店街に、インドネシア・トラジャ地方で採れたコーヒー豆を自家焙煎し販売、及びカフェとして営業しているお店「BUNGA CAFE」があります。
昨日、9月20日(水)、島根県松江市立八雲中学校の生徒達による商人体験が新世界で行われました。
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