将棋の世界には数々の名言や格言があります。
それらは真剣勝負の中から生まれた言葉であり、棋士の人生観を表す言葉とも言えるでしょう。
「銀が泣いている」という名言がありますが、これは、反逆の気風で知られた孤高の棋士、坂田三吉の言葉です。
大正2年4月、東京・築地倶楽部において催された関根八段との対局において、阪田三吉は『銀が泣いている』という言葉を残したとされています。
坂田三吉の繰り出した左の銀は、関根金次郎八段の巧みな駒組の前に立往生しました。
のちに、「あの銀はわいや。わいが銀になって泣いていた」と述べています。
「打倒関根」に執念の灯をかざしつづけ、大阪から敵陣東京へ乗り込んだ三吉は、進退の窮まった銀にわが身を重ねたと言われています。
話は変わりますが、ジャンジャン横丁では、今年9月末、アーケード内に設置されていた「誓いの鍵」や「ビリケンの口」などの名物オブジェが撤去されましたが、その中に、坂田三吉の「銀が泣いている」という名言が生まれた対局を表した盤面が設置されてました。
この盤面もジャンジャン横丁から撤去されましたが、先日、通天閣下にある王将碑の前に移転し、設置されました。
「銀が泣いている」という言葉は、将棋に詳しい人にとっては、あまりにも有名でしょう。
昭和時代、将棋はポピュラーな遊びであり、誰もが知っているものでした。
しかし、最近は将棋をする人口が減少傾向にあるそうです。
今の若い世代は、坂田三吉という名前を知らない世代とも言えるでしょう。
将棋は、昭和時代の庶民の遊びであり、新世界に根付いてきた文化のひとつでもあります。
通天閣下の王将碑は、坂田三吉の功績を称えて造られたもので、将棋の文化を後世に残す意味もあります。
新世界に来られたら、王将碑にも立ち寄って、坂田三吉、そして「銀が泣いている」という言葉だけでも覚えてもらえたら嬉しいです。
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