街は変わるもの、十年一昔といいますが、新世界はこの2〜3年だけでもかなり変わりました。
インバウンド効果、そしてコロナ禍、これからはコロナと共存する社会になりそうですね。
新世界は、大阪を代表する観光エリアとして認知され、多くの観光客が訪れています。
今年4月、『JR新今宮駅』横には、『OMO7 大阪by星野リゾート』がオープンしました。
今年5月、通天閣ではタワースライダーがオープンしました。
下の写真のように、現在、通天閣からスパワールドまで一本の広い道で繋がってますね。
しかし、旧フェスティバルゲート(現在のマルハン新世界店、ドンキホーテ新世界店がある場所)やスパワールドができる前、今から25年以上前は、通天閣から伸びた道は『串かつ横綱』あたりで行き止まりになってました。
フェスティバルゲート、スパワールドがオープンに合わせて、通天閣から両施設が一本の道で繋がりました。
要するに、『づぼらや』や『横綱』のあたりは十字路ではなく、T字路でした。
もちろん、当時は串かつ横綱はありません。
当時、大阪市としての大きな開発事業でしたが、このことを知っている人はかなり少なくなってきました。
私は新世界で生まれ育ち、今年で59歳になりました。
ブログでも書いてきたように、約半世紀、新世界は変わり続け、これからも変わり続けていくでしょう。
さて、下の写真は、通天閣本通商店街にある森本文具店の店主さんと私の母親の井戸端会議の風景です。
2人とも戦前生まれ、80歳代後半になりますが、今も仕事もしていて元気です。
賑やかな新世界、観光エリアとしての新世界がクローズアップされることが多いですが、高度経済成長期からバブル期、働き詰めで、これまでの新世界を支えてきた世代の方です。
2人の井戸端会議を見て、新世界の街並みが変わっても、今も変わらない新世界の根っこを感じました。
感謝と敬意の気持ちと、いつまでも元気に過ごしてほしいと心から思います。
★Twitter@shinsekaizyoho
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