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【約半世紀での新世界の変貌と現在のコロナ禍を考える☆】

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新世界の約半世紀の変貌を説明するとき、約半世紀で新世界は『映画館の街』→『パチンコの街』→『串かつの街』に変わっていったという話をします。

現在、ジャンボ釣船『つり吉』の場所は、以前、『新世界ジャンボ』というパチンコ屋さんでした。

パチンコ『ジャンボ』ができる前は、『大映』という映画館でした。

『つり吉』の迎え側には、マクドナルド、くら寿司ができてますが、以前は「アルドーレ」、もっと昔は「ABC」というパチンコ店でした。

通天閣の目の前にあるスギ薬局の場所も以前はパチンコ屋さんでした。

今から考えると、観光エリアのど真ん中にパチンコ屋がひしめき合っていたように思いますが、当時は観光エリアというより、繁華街というイメージだったように思います。

さて、下はパチンコ『ニュー三共』創業当時の写真です。

昭和29年頃だと思います。

当時のパチンコは、椅子席ではなく、立って遊戯をしてました。

もちろん玉を弾くのは手動です。

遊戯台が並ぶ島の中には人がいて、それぞれの遊戯台に玉を運んでました。

今のパチンコとは全く違うので、若い世代の人達がイメージするのは難しいと思います。

その後、リニューアルしたパチンコ『ニュー三共』で、今から8年ほど前に廃業しました。

現在は串かつ『だるま』動物園前店になっています。

この半世紀、繁華街というイメージから観光エリアというイメージに変わっていき、コロナ前にはインバウンドによる外国人観光客も増え、新世界及び周辺地域では宿泊施設が増えました。

しかし今、まん延防止等重点措置により、観光エリアとしての新世界は大きなダメージを受けています。

写真は、1月31日(月)午後7時30分ごろの新世界です。

もし今、パチンコ屋がひしめき合い、常連さんが根付いていた新世界なら、ここまでダメージを受けていたのか、『もしも』を考えるとキリがないのですが、コロナ禍、いろんなことを考えてしまう今日この頃です。

★Twitter@shinsekaizyoho
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