自宅の倉庫の掃除をしていたら、古い写真のアルバムが出てきました。
数多くの写真がアルバムに貼ってありましたが、粘着力も無くなり、アルバムを開けただけで、写真が剥がれ落ちるぐらいになってました。
アルバムを見ると、1956(昭和31)年、子供会の写真をまとめたものだと判明しました。
私の父が若かりし時の写真がありました。
生前、私の父から、子供達を集めて勉強を教えたり、新世界でそんな活動をしていたと聞いたことがありました。
だから、当時の生徒と道であったとき、いまだに先生と呼ばれてることがあると言ってました。
まさに、その当時の活動の写真でした。
子供会では、勉強会だけでなく、ラジオ体操、体育会、ハイキング、映画鑑賞、新聞社見学会など、地元の子供達に対する様々な取り組みが行われていたようで、たくさんの写真が残っていました。
ラジオ体操の写真ですが、新世界のどこかで撮ったものです。
これは推測ですが、道幅、泡盛、パチンコなどの看板から、ジャンジャン横丁を北側に出た付近かなぁ〜と、あくまでも推測です。
『自転車預かり』『手荷物預かり』の看板が目立ちますが、時代を感じます。
さて、子供会の活動について、昭和31年の新聞に掲載されたようで、アルバムには新聞の切り抜きが貼ってありました。
記事の見出しにある『すくすく育つ三青年の夢』の三青年のひとりとして、亡父、近藤維良の名前も載ってました。
発会式は新世界会館で行われ、約80名の会員が集まったそうです。
新聞には、新世界で育ったことで様々な悩みを持ち続けていたことから、同じ悩みを今の子供達に味わせなくないという気持ちから、子供達に伸び伸びと育ってもらおうと、子供会を作ったと、発足の経緯が書かれています。
時代は変わり、2008(平成20)年に発足した新世界の2代目、3代目が集まって発足した若手商店主の会『新世界援隊』、その活動趣旨は下記の通りでした。
新世界はガラが悪いイメージが強く、若い頃からつらい思いをしてきましたが、暗いイメージを払拭し、次の世代、自分達の子供の世代には、そのような嫌な思いをさせたくないという気持ちから、新世界の活性化を目指す団体として発足しました。
昭和31年に発足した子供会、平成20年に発足した新世界援隊、発足の趣旨は共通するところがあったようで、驚いています。
独特の歴史を歩んできた新世界、それに、新世界を取り巻く環境も独特なものがあり、時代が変わっても、この気持ちが新世界の街おこしの原点かもしれないと思う今日この頃です。
最後になりましたが、この古いアルバム、新聞記事を見て、今更ですが、新世界のために活動してきた先人の方々を尊敬します。
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