ゴールデンウィークも最終日になりました。
ゴールデンウィークの期間中、新世界には多くの観光客が訪れ、賑わいました。
特に、5月3日〜5日は、ふだんの日曜日の2倍以上の人出だったと言う人もおられました。
ところで、先日、ある店舗の人から電話がありました。
テレビの取材を受けていて、記者から「親子丼は新世界発祥らしいが本当ですか?」という質問があったそうですが、そんな話は初めて聞くことで、その答えを知るために、私に電話をしたそうです。
新世界の誕生となった『ルナパ-ク』(1912年開園)より昔の話ですが、明治36年〈1903年〉、大阪で第五回内国観業博覧会が開催されました。
今では浪速区と天王寺区に分かれていますが、新世界と天王寺公園という広いエリアが開催場所になっていました。
実は、第五回内国勧業博覧会のために作られたと言われているフ-ドメニュ-があるんです。
大勢の人が訪れる事を想定し、まず、調理が簡単で、混雑している中でも食べられる事、そして安い事が条件。
この博覧会のために作られたのが、親子丼でした。
博覧会の開催前に、事務局では、世界各国の人達に、何か大阪らしい食べ物を食べてもらおうと考えておりました。
上記の条件を踏まえ、この難しい注文を引受けたのが、大阪の料亭『とりぎく』の主人、内本松次郎さん。
そして考えられたのが、鳥肉とねぎ、白菜を煮て卵で閉じたのが、元祖『親子丼』でした。
博覧会では、一杯15銭で売られて大好評でした。
第五回内国勧業博覧会で販売された親子丼が、西日本、そして全国に一気に広がったと言われています。
当時、勧業博覧会からの発信の大きさが解りますね。
実は、親子丼の発祥については諸説があり、明治中ごろ東京『玉ひで』の五代目主人・田中秀吉の妻・とくが、鳥鍋の残りの割下に卵をとじるのをヒントに考案したという説など。
どちらにせよ、親子丼のル-ツ、探ってみればおもしろいもので、様々な説があるから、一層、ロマンが広がりますね。
昨日も掲載しましたが、2025年に開催される万国博覧会を大阪へ誘致する活動が、大阪各地で活発になってきています。
万博の開催は、大阪を今以上に世界の人達に知ってもらえる大きなチャンスであり、大阪万博の実現を祈るばかりです。
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