新世界・通天閣には全国から、海外から、多くの観光客が訪れています。
以前に比べ、新世界に訪れる観光客の年齢層も若くなっています。
新しいお店が増え、新世界で働く人の年齢層も若くなりました。
観光客や店舗のスタッフなど、多くの人が通天閣の下を行き来していますが、通天閣の天井画について知る人がどれぐらいおられるでしょうか。
そんなわけで、新世界・通天閣の歴史から簡単に説明しましょう。
明治45年(1912年)、第5回内国勧業博覧会の跡地の西半分に開業した『新世界ルナパーク』の中心に初代通天閣が建てられました
初代通天閣は、パリのエッフェル塔と凱旋門を組み合わせた塔で、当時、東洋一の高さを誇り、「針金渡り」と呼ばれたロープウェイ乗り場を台座部分に備えるなど、奇抜な趣向で大いに人気を博しました。
また、初代通天閣のエントランス大天井には「中山太陽堂」がクジャクや季節の花々を配した華やかな天井画を広告掲出していました。
その後、昭和18年(1943年)1月、塔脚の部分にあった映画館「大橋座」より出火、全焼。
同年2月、解体の上、約300tの鋼材として大阪府に供出されてしまいました。
「なにわのシンボル通天閣をもう一度!」と地元から通天閣再建への機運が高まり、地元商店主さんらの動きの中、現在の2代目通天閣は昭和31年に再建、開業しました。
そこで、現在の2代目通天閣の下を通り過ぎる際、是非、チェックしてほしい名所があります。
72年ぶりによみがえった天井画には、色鮮やかな花園に3羽のクジャクが遊ぶ様子が描かれています。
天井画は地上約12メートルの位置にあり、8角形で縦・横約17メートル。
日没から午後11時までライトアップされています。
天井画の復刻により、通天閣を真下から見上げるという、大阪のシンボルに新たな魅力が加わりました。
初代通天閣の唯一の名残でもある天井画だけでなく、通天閣3階には新世界・通天閣の歴史コーナーがあり、100年前の新世界「ルナパーク」を復元したジオラマがあります。
是非、新世界・通天閣の歴史に接してみてください。
今まで気づかなかった魅力やおもしろさが見つかるかもしれませんね。
★Twitter@shinsekaizyoho
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