1970年の大阪万博(EXPO’70)は、日本の高度経済成長をシンボライズする一大イベントでした。
私が小学校一年生の時で、祖父に連れられて数回行きました。
アメリカ館では、月の石を観たり、太陽の塔にも入場しました。
入場するのに、長い時間、並んだ記憶があります。
その伝統を継承し、大阪・関西、さらには日本の発展の新たな起爆剤となるよう、2025年の国際博覧会(EXPO)、大阪への誘致活動が本格化しています。
先日の新世界援隊の忘年会の中でも大阪万博の誘致活動について、新世界でも何か取り組みができないだろうか、といった意見もありました。
若い世代の商店主さんらは、2025年、大阪での国際博覧会の実現に、大きな期待を寄せています。
ところで、その昔、新世界エリアでも博覧会が開催されたことがあるんです。
明治36年3月~7月、第五回内国勧業博覧会が開催されました。
正面入口には高さ27mの正門があり、会場内には農業から学術・美術に至る、あらゆるパビリオンがあり、18カ国におよぶ諸外国の展示館もありました。
娯楽施設も充実していて、中でも茶臼山から下るウオーターシュートが大人気でした。
また「不思議館」として 電気を利用した幻想的なショーや、まだほとんど普及していない冷蔵庫の展示、冷房施設の実体験までありました。
当日の最先端の技術を駆使した博覧会だったようですね。
第五回内国勧業博覧会の跡地に、新世界エリアにはルナパークが開演し、東側には天王寺動物園、天王寺公園として整備されました。
現在は、天王寺動物園、公園は天王寺区、新世界は浪速区と、行政によって区割りされてますが、当時は博覧会の会場として、ひとつになってました。
このように歴史を遡ると、「大阪は万博の街」と言えるかもしれませんね。
2025年の国際博覧会(EXPO)、大阪への誘致が実現することを期待しています。
★Twitter@shinsekaizyoho
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