先日、浪速区商店会連盟の懇親会のことをブログに書きましたが、その懇親会で閉会の挨拶をさせていただきました。
その閉会の挨拶の中で、この半世紀の新世界の動きについて話をしましたが、その内容を紹介しようと思います。
私が生まれた頃、今から50年ちょっと前の新世界には多くの映画館がありました。
昭和30年代〜40年代あたりのこと、新世界を一周まわれば全ての封切り映画を観ることができたと言われてました。
夏休みには、ゴジラ映画やガメラ映画を楽しみにしてたものです。
映画の上映時間が終わると、映画館からたくさんのお客さんが出て来られ、新世界の飲食店は忙しくなったそうです。
しかし、テレビの普及などの影響もあり、映画館が少なくなっていき、昭和50年代以降、バブル期にはパチンコ店が増え、狭い新世界に10店舗以上のパチンコ店がひしめき合った時期がありました。
そして、今から10年程前から、外部から串かつ店の参入が増え、現在では、新世界に40店舗以上の串かつ店があるようです。
下の写真、昭和40年代には東宝敷島があり、その後、パチンコ店になり、現在は串かつ「朝日」などの串かつ店になっています。
下の写真、昭和40年代には大映の映画館があり、その後、パチンコ店になり、現在は、串かつを中心とした飲食店になっています。
現在、新世界に映画館は2軒、パチンコ店も2軒(マルハン新世界店は除く)になっています。
新世界の名物グルメとして、串かつが全国に認知され、今や新世界は大阪の観光エリアになっています。
全国から、海外からの観光客で賑わい、ガラが悪いと言われたひと昔前のイメージは無くなりつつあります。
このように新世界は、約半世紀の中で『映画館の街→パチンコの街→串かつの街』と、様々な色に変貌を遂げできましたが、2〜3年前から新しい動きが起きてきました。
新世界にホテルが進出してきました。
「東横INN通天閣前」のオープンを皮切りに、今では、通天閣本通商店街に「大阪えびすホテル」がオープン、つい先日、串かつ「横綱」通天閣店のとなりに、ホテルヴェルテックス大阪がオープンしました。
また、「THE PAX」や「HOME HOSTEL」というホステルという形態の宿泊施設もオープンしています。
新世界は、地下鉄やJR、南海電車、阪堺電車などの駅に囲まれたエリアで、特にJR新今宮駅は関西空港から直結する駅になっていて、大阪の観光拠点になり得る条件が揃っていました。
新世界は大阪を代表する観光地であると同時に、大阪の観光拠点でもある、そんな変化が始まったように感じます。
時代の流れの早さを感じつつ、5年先、10年先、新世界がどのような街に変貌し、発展していくのか、期待していきたいと思います。
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