クラウドファンディング

演芸映画の街からパチンコの街、そして串かつの街に変貌した新世界☆

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約半世紀の間で、新世界は「演芸映画の街→パチンコの街→串かつの街」と変貌してきました。

私が小学生の頃、新世界には幾つもの映画館があり、全ての封切り映画を観ることができました。

夏休みには、ゴジラ映画、ガメラ映画が来るのが楽しみでした。

また、新世界でロケがあったということで、松本清張の『砂の器』を父と観たことがあります。

その後、私の学生時代には映画館が減り、パチンコ店が増えました。

そして今、新世界は40店舗以上の串かつ屋が並ぶ街になっています。

庶民の街、おっちゃんの遊び場、ガラが悪い、そんなイメ-ジが定着してましたが、現在は通天閣、ビリケン、串かつというイメ-ジが大きくなり、大阪を代表する観光地になっています。

ある研究者によると、『ディープで大阪らしさが残る街としてブランド化に成功しつつある街』と新世界を表現されてます。

活性化の理由としては、

テレビ等で庶民的に愛される街のイメージ形成に成功したこと。

串かつ飲食店の出店戦略により「パチンコの街」から「串かつの街」への転換が成功したこと。

通天閣の経営の成功などによる集客力のアップなど。

と書かれてます。

「あ~、なるほど!」と納得する面もあり、理論的に言うとそうかもしれませんが、地元である私にとっては、その方向に街として自発的に動いたというより、様々なタイミングが偶然に重なりあい、新しいものが生まれて根付き、それが繰り返し大きくなった、そんな感じに思えます。

他の地域や商店街と共通の課題ですが、新世界も商店主さんの高齢化や後継者不足などで、古くから営業しているお店の閉店が続いています。

しかし、シャッタ-商店街にならず、外部から企業やお店が参入し、今の新世界のニ-ズにあった店舗展開が進んでいます。

地元商店主さんとの間では「5年後、10年後の新世界はどんな街になってるんやろ?」と話題になることがありますが、確かにこの数年の急激な街の変貌を考えると、将来的な不安もよぎります。

というわけで、最後に下の写真を紹介します。

天王寺動物園から新世界に入ってスグの場所

これは、おそらく昭和28年頃の「三共会館」の写真です。

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創業55年以上、1階がパチンコ店、2階が麻雀店として営業していた「ニュ-三共」です。

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現在は、1階・2階が串かつ「だるま」動物園前店になっています。

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今年のゴ-ルデンウィ-ク、新世界の賑わいをみて、時代の流れを感じる今日この頃です。

★Twitter@shinsekaizyoho
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