クラウドファンディング

100年前の新世界の地図を眺めながら、100年後の新世界を想う今日この頃☆

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

部屋を整理してたら、古い資料が出てきました。

分厚い冊子になっていて、新世界が生まれた頃、すなわち、約100年前の新世界の様子の解説と写真が掲載されてました。

明治36年に開催された第五回内国勧業博覧会の跡地に大阪市が天王寺公園を建設し、余った土地を民間会社に貸与し、一大娯楽場・新世界を建設しました。

そして明治45(1912)年7月3日、初代通天閣と共に開業した遊園地がルナパークであり、街の北側はパリ、南側はニューヨークのアミューズメントパーク・ルナパークを模し、街の中心にはエッフェル式高塔の通天閣が配置されたようです。

下の地図は約100年前のルナパ-ク時代の新世界が表されています。

160121_234651.jpg

ちなみに、下は数年前の新世界マップです。100年前の地図と南北が反対になってますが、見比べてみて下さい。

ddce8e78215773ebbb987f34fdc311ac.jpg

通天閣から北へ放射線に延びる道は当時のままです。

今の2代目通天閣は、初代通天閣より北へ約30mの場所にあります。

現在、串かつ店がひしめき合う賑やかなエリアが、一大娯楽場「ルナパ-ク」のエリアだったようです。

ジャンジャン横丁という表記はなく、裏町と書かれています。

地図の上部の空白部分は、今はスパワ-ルド、マルハン新世界店、ドン・キホ-テがあるエリアです。

また、地図には朝日劇場の表記があり、100年以上の歴史があるのが解ります。

神社の建設予定地と記されてますが、これがもともとの新世界稲荷神社の場所であり、移転して現在の場所になっています。

ルナパ-ク開園から今年は104年目になり、現在の通天閣は2代目、街の様子も全く違い、幾多の変貌を遂げながら生き続けてきた新世界です。

今から100年後には、世間のあらゆる価値観や文化が変わっているでしょう。

もちろん、100年後の新世界を想像するなんて不可能なことです。

新世界という名前は残っているのか、今より発展した街になっているのか、もしかして無くなっているのか、100年前の地図を眺めながら、100年後の新世界を想像するというロマンにふける今日この頃です。

★Twitter@shinsekaizyoho
「愉快・痛快・新世界情報」では、新世界の最新情報やおもしろい情報を呟いてます。

※NOTE;
当blog掲載の写真・動画等、無断での複写(コピー)及び、コンテンツの転載転出を禁じます。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*