今年もあと僅か、私にとっての2015年は公私共に大きな変化があった年でした。
今日のブログは、個人的に今年を振り返って書こうと思います。
昨年2014年8月2日、産経新聞に、天王寺動物園の人気者だったアジアゾウの春子が死んだことについての記事が掲載されていました。
記事を抜粋すると、
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大阪市天王寺区の天王寺動物園で飼育され、人気者だったメスのアジアゾウ「春子」が7月30日、死んだ。
推定年齢は66歳で、国内2番目の高齢だった。
昭和25年にタイから来園した春子は、終戦で傷つき、復興に立ち上がろうとしていた大阪人の心を癒やした。
生涯の大半、60年以上を大阪で過ごし、来園者だけでなく、飼育員の心の支えにもなった。
大阪の発展を、静かに、そして穏やかに見守り続けた“功労者”。みんなが死を惜しんだ。
戦後復興の転換点に 昭和25年4月、タイから船で運ばれてきた春子は大阪港(同市港区)に陸あげされ、同園までトラックに乗せられてパレードした。
沿道には人があふれ、動物園に着くまで2時間半もかかり、市電も止まった。
動物園と隣接する「新世界」の□□□□会長の〇〇〇〇さん=同市浪速区=は当時中学生で、「ゾウがくる」と聞いて動物園まで走った。
「春子を見ようと周辺の道路に人だかりができた。
春子が家族連れの観光客を呼んで天王寺や新世界に人が集まり、戦争の荒廃から発展していく転換点になった。
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以上、新聞取材に対して、私の父が、アジアゾウの春子が天王寺動物園に来た時の様子を語り、記事になりました。
そんな歴史を知る存在であった父が、今年10月に他界しました。
父は初代通天閣にも上ったことがあるそうです。
新世界で生まれ育ち、大阪空襲、そして戦後、高度経済成長期を新世界で過ごした人がまた一人いなくなりました。
実は、今年の夏以降、ほんの数年前まで新世界の中枢として活躍されていた高齢の方々が相次いで他界されました。
地元商店主さんからは、一機に世代交代が進んだなぁ…、変わる時ってこんな感じなんかなぁ…、という声もありました。
新世界の地元の商店主さんや街の役員さんも世代交代が進み、様々な面で新しい価値観が生まれていますが、一方、新世界の歴史を語れる人が年々、少なくなっていくのは寂しいことです。
この数年で新世界の町並みの変貌も著しく、父が病床で「新世界が急に変わりすぎたなぁ…。」と呟いてたことを思い出します。
昔、父と遊んだ思い出の場所である天王寺公園もリニュ-アルされ、未来に向けて新たな一歩を踏み出しました。
時代の流れと共に、人も変わる、街も変わる、諸行無常を感じる年の瀬です。
★Twitter@shinsekaizyoho
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