ジャンジャン横丁は、新世界の南東部に位置し、南北に約180m、ア-ケ-ドがある商店街です。
正式名称は「南陽通商店街」といいます。
昭和の臭いを色濃く残すジャンジャン横丁には、観光客はもちろん、常連さんも集う商店街です。
道幅が約2.5mと狭く、テレビ撮影などは、なかなか大変なことがあります。
ところで、ジャンジャン横丁の「ジャンジャン」の由来は何でしょうか?
ある文献には下記のように記載されています。
-----------
昭和初期、「両側から湧き起る三味線の喧騒、途方もない高い声を張り上げて、やけに喚き立てるサノサ節屋、串本節や、道頓堀行進曲。さういふものが一緒になって、道行く人の心を沸き立たせる。
ずっと、博覧会の売店を見るやうなバラック建てに、軒先には、みな同じやうな暖簾をくぐって中に入ると、大抵は鍵形りにとった長い食卓が設けられ、その上には、関東煮の鍋がぐらぐらと煮え立っている。・・・薦の被った酒樽が並び、その前の椅子に腰をかけた女が、がちゃがちゃと三味線を弾いている。
関東煮の鍋の向こうには、首筋を真っ白に塗った女が、ずらりと並んで、客に酒をついで、唄ひ、呑み、呑み且つ唄ふ。
(北尾鐐之助『近代大阪』349~350頁)
-----------
このように三味線などの鳴り物で賑やかだった商店街は、三味線の撥音をとって、通称「ジャンジャン横丁」と呼ばれました。
林芙美子の小説「めし」には戦後間もないころのジャンジャン横丁の様子が細やかに描かれています。
「ジャンジャン横丁」の表記はこの作品で初めて使われ、それまでは「ジャンジャン町」が主流で、以後、ガイドブックなどに「横丁」表記が増え始めたそうです。
実は、私の家に、ジャンジャン横丁が鳴り物で賑やかだったことが解る写真がありました。
下の写真は、ジャンジャン横丁の東側の路地で撮ったものだそうです。
ところで、ジャンジャン横丁にもキャラクタ-があります。
地元の商店主さんが描いたキャラクタ-で「ジャンジャン来太郎」と言います。
通天閣が、ジャンジャン横丁の由来である三味線を持っている姿がユニ-クですね。
というわけで、「ジャンジャン=三味線の音」であり、ジャンジャンお客さんが来てほしいからジャンジャン横丁になったわけではありません。
★Twitter@shinsekaizyoho
「愉快・痛快・新世界情報」では、新世界の最新情報やおもしろい情報を呟いてます。
※NOTE;
当blog掲載の写真・動画等、無断での複写(コピー)及び、コンテンツの転載転出を禁じます。