喫茶「タマイチ」は創業80年以上を誇る老舗の喫茶店です。
古くから営業されているので、常連さんの中には数十年にわたり来られている方もおられます。
先日、喫茶タマイチに行った時、隣の席におられた方とタマイチの奥さんと私で新世界の昔話に花が咲きました。
その常連さん、おそらく70歳前後、なんせ昔の新世界のことをよう知ってはりました。
私、永遠の20代のつもりでしたが、昔話に花が咲いたということは、おっちゃんになってしまったということです。
その常連さんによると、昭和28年頃、新世界に毎日会館というパチンコ屋さんがあって、そこは大阪一大きなパチンコ屋だったそうです。
堺筋から新世界に入ってすぐ、今の毎日モ-タ-プ-ルの場所だそうです。
当時のパチンコは、手打ち、立って遊技をする、玉を入れる箱は木箱でした。
朝、開店と同時にパチプロが、タバコやマッチ箱で複数の遊技台を押さえて、200円ぐらいずつ試し打ちをして、出そうな遊技台を選ぶのだそうです。
昭和28年頃といえば、今、新世界にあるパチンコ店ができる前の時代で、パチンコ「ジャンボ」の場所には『大映』の映画館がありました。
新世界を歩くと全ての封切り映画を観ることができたと言われた時代でした。
その頃には、『づぼらや本店』もあったそうで、パチンコに勝った時は、てっちりを食べに行ったそうです。
昭和28年頃から40年代の話で、私もかすかに覚えている部分もありました。
戦後から高度経済成長期の新世界の様子について、インタ-ネットで調べてみても情報が少なく、当時の新世界を知る人が高齢になり、なかなかリアルな話を聞く機会が少なくなってきました。
今の新世界とは違い、ちょっとガラが悪かった街ですが、映画館・ストリップ・パチンコ・麻雀・Zゲ-ムなど、おっちゃんが一日中遊べる街であり、古き良き時代でもありました。
ところで、喫茶タマイチの椅子の奥行きが狭くなっているのは、酔っ払いが横になって寝ないように、あえて狭くしているそうです。
今の新世界では、そんな心配は無くなってきてますが、タマイチの椅子に当時の様子が表れています。
今、全国から多くの観光客が訪れ、賑やかな新世界になってきましたが、昭和時代の新世界もまた違った魅力ある街だったように思います。
喫茶店の常連さんの話を聞いて、古い話だと言ってしまえばそれまでのことですが、若い世代の人へ、古い話を語り継いでいくのも地元で生まれ育った者の使命であると感じました。
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