昨日に続いて、ジャンジャン横丁のお話です。
ジャンジャン横丁は、新世界の南東部に位置し、全長は約180m。
商店街にはアーケードがあり、道幅は狭く、約2.5mほど。
ジャンジャン横丁の西側にはスパワ-ルドが隣接しています。
「ジャンジャン横丁」は通称で、正式名称は「南陽通商店街」といいます。
ジャンジャン横丁は、立呑屋、串かつ屋、ホルモン焼、寿司屋、喫茶店、将棋などのお店が並ぶ商店街で、新世界の中でも最もディ-プな場所と言えるでしょう。
その昔、お店から三味線や太鼓などの鳴り物が響き、たいそう賑やかな街だったそうです。
ジャンジャン横丁の名前は、この三味線の擬音「ジャンジャン」が由来であり、その証拠とも言える写真がコレ。
写真の場所はジャンジャン横丁の東側に入ったあたりと推察されます。
ジャンジャン横丁のキャラクタ-「ジャンジャン来太郎」は、通天閣が三味線を持ってジャンジャンと弾いている姿を表現しています。
ところで、ジャンジャン横丁は、1951年、朝日新聞に連載された、林芙美子の小説「めし」がきっかけに全国的に有名になったと言われています。
映画化された作品では、上原謙と原節子が夫婦役演じていました。
また、林芙美子の小説「めし」には戦後間もないころのジャンジャン横丁の様子が細やかに描かれています
「ジャンジャン横丁」の表記はこの作品で初めて使われたそうで、それまでは「ジャンジャン町」が主流で、以後、ガイドブックなどにも「横丁」表記が使われ始めたようです。
小説「めし」の文中に、
「昔は通天閣という高い鉄骨の塔があったのですよ」というせりふがあります。
このセリフから、初代通天閣が、下の映画館の火災の影響で消失してから、2代目通天閣が再建されるまでの間、ちょうど通天閣が無かった時期に書かれた作品であることが解ります。
また、天王寺公園内の旧黒田藩長屋門脇に林芙美子文学碑があります。「昔 通天閣のあったころは……」と、『めし』の一節が刻まれています。
今、新世界には全国から多くの観光客が来られ、昭和レトロな雰囲気を残すジャンジャン横丁も観光客で賑わっています。
新世界の歴史の奥深さを感じる街「ジャンジャン横丁」に、是非、お立ち寄り下さい。
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