部屋の整理をしていたら、下の写真が出てきました。
小さい額に入り、大切に保管されていて、懐かしい気持ちになりました。
この写真は、2009年1月19日、通天閣下で開催された「OSAKA翔GANGS・新世界PR大使 発表披露式典」の記念写真です。
新聞各社の取材も入り、大々的な式典になりました。
中央の3人の男性、真ん中が当時の新世界町会連合会の近藤会長です。
2009年頃といえば、新世界は串かつブ-ムが到来し、大阪を代表する観光地として、若い世代の観光客が一機に増えた時期でした。
悪いイメ-ジの新世界から、街の雰囲気が変貌し、そのスピ-ドがますます早くなってきてました。
そんな中、新世界の活性化を推進するため、新世界若手商店主の会「新世界援隊」が有志により結成されました。
大阪で活動するダンス&ボ-カル「OSAKA翔GANGS」を新世界PR大使にすることが最初の仕事でした。
それまで新世界では、特定のグル-プや人物や商品などに、地域団体からPR大使などの冠をつけることがありませんでした。
まして、急に出てきた若い女性のグル-プに冠をつけるなんて考えれなかった時代でした。
新世界援隊は上部団体の新世界町会連合会に提案し、様々な意見が飛び交いましたが、当時の近藤連合会長の鶴の一声で、OSAKA翔GANGSが新世界PR大使に認められました。
若い世代の商店主達の提案が認められた瞬間でもあり、前例のないことが実現した瞬間でもありました。
それ以降、新世界の中では様々な企画が実現し、外部からの様々な提案を受け入れ、街の活性化への動きが一機に加速していきました。
今では当たり前のように実現していることが、ほんの5~6年前まではタブーであり、侵してはいけない聖域だったり、そんなことがたくさんありました。
新世界援隊の活動により、それらのタブーや聖域をひとつひとつ打ち破ってきた数年間でした。
その時、歴史が動いた!
上の写真は、活性化に向けて新世界が動き出した瞬間でした。
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