1909年(明治42年)、新世界一帯で開催された第五回内国勧業博覧会の跡地に、周辺再開発プロジェクトが立ち上がり、「新世界」は、一大歓楽地の賑わいを見せるようになります。
その賑わいのひとつに大阪大相撲がありました。
勧進元として、相撲のみならず興行全体に関心があった十二代目朝日山四郎右衛門は、新世界に、四股名にちなんだ朝日劇場を建設、自らその経営にあたります。初代通天閣の開場より少し早い、明治43年のことでした。
しかし、朝日山の劇場経営は、大阪相撲の衰退に伴い、長くは続きませんでした。こうして朝日山の夢は消えましたが、「朝日」の名は劇場名として残り、その後も永く親しまれることになったのです。
(以上、大衆演劇「朝日劇場」のホ-ムペ-ジより抜粋)
昨日の土曜日、新世界は多くの観光客で賑わいました。
大衆演劇「朝日劇場」の前は、役者さんによる送り出しに人だかりができました。
新世界の風物詩になっている光景です。
古くから根付いた文化の中に、今、新世界は新たな名物や文化が参入し根付いています。
新世界の名物と言えば「串かつ」というイメ-ジが定着し、今や新世界には約40店舗の串かつ屋さんがあるようです。
大阪観光には新世界が外せない場所になってきている面もあり、大阪名物「たこ焼屋」の数も増えてきました。
今から10年以上前、「新世界 たこ焼き かんかん」がオ-プン。
「かんかん」のマスタ-によると、当時の新世界では、“こんな場所でたこ焼きなんか売れへんわ”と言われたこともあるそうです。
今や、たこ焼き「かんかん」は行列のできるたこ焼き屋さんと言われるようです。
チェ-ン展開しているたこ焼屋さん「あっちち本舗」も新世界に進出し、やはり大阪名物「たこ焼」は大人気です。
「11月11日はポッキ-&プリッツの日」ということで、通天閣ではキャンペ-ンが行われているようです。
10年前には通天閣とグリコがコラボするなんて考えられなかったことでした。
「11月11日はポッキ-&プリッツの日」キャンペ-ンについては、ネット新聞『あべの経済新聞』、新世界のツイッタ-をご覧下さい。
一方、新世界では大きな建築工事が進行中。
ビジネスホテル「東横INN」の建築工事。
スパワールドに隣接(フェスティバルゲ-ト跡地)では、マルハンの工事が進んでいます。
年々、様変わりし続けている新世界の町並みが、来年はますます新しくなるようです。
大衆演劇などの昭和の文化と新しい文化が共存共栄し、来年に向けても新しい風が新世界に吹き込んでくるでしょう。
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