「ひと昔前の新世界ファッション」というタイトルをつけましたが、どんなファッションやねん?…と思われる方が多いでしょう。
ひと昔前、新世界はおっちゃんの街と言われたように、労働者の遊び場でもありました。
私が若い頃、新世界を歩くおっちゃんは、キャップの帽子、片手に煙草、服はジャンバ-、独りで歩く、そんなイメ-ジがありました。
ある商店主さんが「これが新世界ファッションや~」と表現された方がおられ、今も印象に残ってます。
労働者のおっちゃんが仕事帰りに新世界でパチンコをしたり、立呑屋で飲んだり、大衆食堂で腹ごしらえをしたり、串かつ屋さんのカウンタ-に座り、ビ-ルのあてに串かつを食べたり、新世界は庶民が気軽に遊べる街として親しまれてきました。
昨日の日曜日、新世界は多くの観光客で賑わいました。
ひと昔前の新世界ファッションは無くなり、ファミリ-や女性、若い世代の観光客でいっぱいです。
ひと昔前、道には煙草の吸殻が目立ちましたが、今はかなり少なくなっています。
新世界は行政による街の再開発とかではなく、街の雰囲気が短期間で激変した理由について、いろんな方から質問されることがあります。
地元商店主の高齢化や後継者の不在により、古くから営業されていた店が無くなり、そこに外部からの出店(多くは串かつ屋)が相次ぎ、「新世界=串かつ」というイメ-ジの確立、通天閣を筆頭に観光スポットとして発信、スパワ-ルドのファミリ-や若い世代の集客、そして新世界100周年を機にますます大阪を代表する観光地として全国的に認知され、様々な要因が重なり合いながら新世界の町並みや来訪者の層が変わってきました。
地元の私は変貌の過程を見てきたわけですが、新世界の街の変貌は特異な例かもしれませんね。
日曜日の新世界の雰囲気を見ると、ひと昔前の新世界ファッションを懐かしく思い出す今日この頃です。
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