新世界の誕生となった『ルナパ-ク』(1912年開園)より昔の話です。
明治36年〈1903年〉、大阪で第五回内国観業博覧会が開催されました。
今では浪速区と天王寺区に分かれていますが、新世界と天王寺公園という
広いエリアが開催場所になっていました。
14ヶ国が参加、約530万人が入場したそうです。
ここで問題です。
【問題】
第五回内国勧業博覧会のために、作られたと言われているフ-ドメニュ-があるんです。
大勢の人が訪れる事を想定し、まず、調理が簡単で、混雑している中でも食べられる事、そして安い事が条件。
さて、そのメニュ-とは何でしょうか?
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【答え】親子丼
この博覧会のために作られたのが、親子丼でした。
博覧会の開催前に、事務局では、世界各国の人達に、何か大阪らしい食べ物を食べてもらおうと考えておりました。
上記の条件を踏まえ、この難しい注文を引受けたのが、大阪の料亭『とりぎく』の主人、内本松次郎さん。
そして考えられたのが、鳥肉とねぎ、白菜を煮て卵で閉じたのが、元祖『親子丼』でした。
博覧会では、一杯15銭で売られて大好評でした。
第五回内国勧業博覧会で販売された親子丼が、西日本、そして全国に一気に広がったと言われています。
当時、勧業博覧会からの発信の大きさが解りますね。
実は、親子丼の発祥については諸説があり、明治中ごろ東京『玉ひで』の五代目主人・田中秀吉の妻・とくが、鳥鍋の残りの割下に卵をとじるのをヒントに考案したという説、『玉ひで』は現在もあるそうです。
どちらにせよ、親子丼のル-ツ、探ってみればおもしろいものです。
様々な説があるから、一層、ロマンが広がりますね。
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